診察室からコンニチハ(133)

もう少し薬剤耐性の話をさせて下さい。免疫力が極端に落ちた癌末期の患者さんや、超高齢者を除けば入院して肺炎の治療ををする機序はどうなっていると思いますか?
通常に考えて行けば医療サイドでの治療効果は60%ぐらいでしょう。それ以外は個人の免疫力が40%ぐらいはあるのではないかと私は推測しています。それを無視していたずらに抗生剤に頼るところに耐性菌の問題が発生するのかもしれません。
むかし抗生剤の無い時代、1928年ペニシリンをフレミングが発見する以前、結核は国民病と言われ現在の癌に匹敵する「死に至る病」でした。それでも結核にかかった人たちの全てが亡くなった訳ではありません。サナトリウムなどの転地療養で免疫力のアップに努め、死病と言われた結核から生還した人たちもいたのです。*中村天風の有名な話もあります。
*中村天風は帝国陸軍で高等通訳官を務めていましたが、1906年(明治39年)に奔馬性の重篤な疾患にかかりました(結核の症例で、急速に症状が進むもの)。現代では「急速進展例」と呼ばれる重篤な肺結核です。北里柴三郎の治療を受けたものの病状は思わしくなく、その後1909年(明治42年)にキリスト教の異端的潮流ニューソートの作家オリソン・スウェット・マーデン(英語版)の『如何にして希望を達し得るか』を読んで感銘を受け、病気のために弱くなった心を強くする方法を求めて、アメリカへ渡る決意をしました。しかし、結核患者には渡航許可が下りず、親交のあった孫文の親類に成りすまして密航したのです。
アメリカに渡った天風は、結核の治療を探し求めました。しかし、治療の効果は果たせず親戚筋にあたる当時アメリカ公使館に勤めていた芳澤謙吉の勧めで、哲学者のカーリントン博士に面会しました。華僑の学生に代わって授業に出席したのをきっかけにコロンビア大学に入学し、自らの病の原因を尋ねて自律神経系の研究を行ったと言われています。その後は多くの著名人に会い、ひたすら結核の治療法を追い求めましたが、いずれも納得の行く答えを得ることが出来ませんでした。
こうして天風は、1911年5月25日に日本への帰路に就きましたが、その途中経由地であったアレキサンドリアにてインドのヨーガの聖人であるカリアッパ師と邂逅し、そのまま弟子入りしてヒマラヤ第3の高峰カンチェンジュンガ山麓にあるゴーク村で2年半修行を行ったと言われています。この修行を通じて結核は治癒し、さらに悟りを得るに至ったといわれています。
これなど、如何に精神力で免疫機能を高め結核に打ち勝ったかの有名な話です。
次回に続く
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