診察室からコンニチハ(148)

われわれ人類がこの様な科学万能主義に陥ったのは、一体何時からだったのでしょうか?
人類こそが万物の霊長類と慢心して、地球の崩壊を省みる事もなく、食物の生産量増大、工業生産量の拡大、医療の進歩による平均寿命の伸展などの急激な変化は、イギリスの産業革命にその起源があると言われています。この産業革命は1760年代から1830年代までという比較的長い期間に渡って漸進しました。またイギリスに限らず西ヨーロッパ地域では「産業革命」に先行して*プロト工業化と呼ばれる技術革新が存在しました。
*プロト工業化は、経済史家のF・メンデルスおよびP・デーヨンが1960年代末~1970年代前半の研究で概念化した定義によれば、それは単なる農村工業化ではなく、以下の3つの条件が結びついた歴史現象とされています。すなわち、第一に自給自足的な経済活動や地域内市場のための商品生産ではなく、特に国際貿易市場を志向する域外市場向け手工業生産である事です。第二に、多くの場合都市部の問屋商人によって組織された問屋制家内工業の形態をとった、農村部で小農によって営まれる家内手工業です。そして第三に同一の地方経済の内部で、一方では農村工業、他方では生産性の高い大規模な商業的農業へと特化する、2つの地域間の分業として展開されました。この現象はイギリスの場合は17~18世紀、その他の大陸諸国では18世紀~19世紀初頭に進行しています。
プロト工業化論の登場以前、産業革命以前の生産形態として重視されていたのは、主としてマニュファクチュア(工場制手工業)でしたが、この学説においては問屋制家内工業が重要な役割を果たすものと考えられていました。
プロト工業化は、インド、中国の長江流域、日本などでも起きていたとする研究もあります。プロト工業化が起きた地域の共通点には人口の急増があり、プロト工業化に従事する人口が増えるにつれて、製品単価の値下げと生産増、そしてさらなる単価の値下げという現象が発生しています。北西ヨーロッパが他の地域と異なり経済成長を続けたのは、アフリカとアメリカ大陸における土地、鉱物、プランテーションの生産物でした。アジアでは、大西洋世界のようなブレイクスルーをもたらす要素がなかったため、生態環境の限界によって北西ヨーロッパより工業化が遅れたといわれています。
1920年代、人口統計学の権威レイモンド・パールは世界20億人が人口の限界だと言っていました。それが今や約77億人。地球オブザーバーの多くは意識改革を迫られているかもしれません。一時は世界人口が30億人を超えたら、世界規模の飢餓が起きるという説が有識者の間では支配的でした。それが77億人となっても、この世界は今まで以上の食料飽和を享受しています。もっとも数多くの最貧国では、未だ食料事情に困窮している国はありますが。
次回に続く
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