潮騒は聞こえず(25)

鈴枝は24才になっていた。熊沢の死を聞いても、それ程には驚かなかった。熊沢商会が危機状態に陥っている事は、それとなく耳にしていたし、自分の周りを見回しても実に多くの人たちが死んでいた。女郎として9年間も世話になっていた吉原も1945年3月の東京大空襲で焼け出され華龍のお母さんも生きているかどうかも分からない。自分一人が今ここで生きているのが不思議なくらいだ。それでも東北の極貧の生活でそれなりに生き抜いて来た鈴枝には、石にかじりついても生き抜いて行く力強さが体の何処かに備わっていた。熊沢の死が悲しくなかった訳ではない。少なくても5年近くはずいぶんと良くしてもらったし、自分のこれまでの人生の中では一番平穏で楽な日々だった。ねだりもしないのに次から次へと着物も買い揃えてくれた。夜の生活もせいぜい月に一、二度ぐらいだし、それも決して無理強いはしなかった。その意味ではとても扱い易い旦那であった。それにどんなに悲しんだとしても、所詮は囲い者の身である。堂々と葬儀の席に顔を出せる身分でもない。それよりは明日からの自分の身の振り方を考えなければならない。これまで熊沢から月々貰う手当てから、それなりの貯金もしてあったし、買い揃えて貰った着物なども処分すればそれなりの金にもなるに違いない。今の小女を雇い入れたままでも1、2年は生活に困る事もなさそうだ。東京は焼け野原である。幸い鈴枝の借家がある北千住は空襲にも会わず日々の生活も何とか凌いでいた。熊沢が亡くなって49日目、鈴枝は北千住の借家で小女と二人、熊沢の遺影の前で静かに線香をあげた。それは一度だけ熊沢に連れて行って貰った熱海で一緒に撮った、たった一枚だけの記念写真だった。
明日に続く
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