潮騒は聞こえず(26)

1945(昭和20)年も12月になり年も迫って来た。公園や駅の彼方此方では浮浪者の群れが寝床探しに汲々となっていた。これからの厳しい冬の寒さをどの様に乗り超えるのか、それは正に死活問題だった。誰のものともとも分からぬ空き地に勝手にバラック小屋を建ててしまう剛の者も現れた。それを真似する者も当然の如く出て来た。焼け野原だらけの東京では誰の土地か区別しにくい地域が多く、生死が不明のこともも多かった。役所の土地台帳もかなりの部分が焼失していた。それをあざとく利用して、勝手に家を建ててしまう者も続出した。また上野、渋谷、新橋、銀座あらゆるガード下では、飲み屋、食べ物屋、古着屋その他あやしげな闇商品を扱ったバラックが所狭しと競い合って自己の領分を主張していた。誰の物でもなく早い者勝ちの世界だ。戦地からは復員兵もどんどん帰って来ていた。みんな食べる事にガツガツしていた。
まだ生活の蓄えはあるものの鈴枝も何か職を探さねばならないと、少しづつ考える様になっていた。正月も過ぎ1946(昭和21)年の2月の、とある日に鈴枝は浅草雷門近くで後ろから声をかけられた。「こりゃ鈴枝姐さんじゃないですか」と、吉次が懐かしげな顔をしていた。「どいつもこいつもシケタ面(つら)ばかりしていやがるのに、鈴枝姐さんだけはピカピカに輝いていらっしゃる。旦那もお幸せな事で」と、何か一癖ありそうな挨拶をして来た。戦前まだ華龍で女郎をやっていた時代、吉次は幇間で宴席をよく賑わしていた。今はケチな闇屋でその日暮らしの生活に追われているが。昔馴染みの吉次に会って鈴枝もちょっとした立ち話しをする気になった。「おゃ吉さんは知らなかったのかい。旦那は昨年の内に亡くなったんだよ」「そりゃどうも失礼しました。全く存知ませんで、で病気か何かで」「まぁ色々と込み入った事情があってね」と鈴枝は素気無く答えた。何も吉次ごときに本当の事情を話す必要も感じなかった。「確かに私ごとき者が聞いてどうなるもんでもありゃしませんね。それで鈴枝姐さんは今はどうなさっていらっしゃるんですかい。悠々自適の生活を、お楽しみで」「馬鹿言うでないよ。誰がこのご時勢で悠々自適の生活を送って居られる人間がいるって言うのさ」と、少し苛立たしげに答えた。
明日に続く
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