2020年新年号(臨時:後編)

明治時代の新渡戸稲造が著した「武士道の精神」。その後は昭和の小説家、三島由紀夫が提唱した男の美学「自己犠牲」それらから派生する人間としての倫理感や道徳律などは、昭和元禄の申し子と言われた植木等などに代表される軽佻浮薄な「サラリーマン人生」の流行語に踏みにじられ、それまでの日本文化とはかけ離れた次元の違った世界へと突き進んでいったのです。そんな無責任体質の「ノリ」の文化が蔓延していき、さらに1980年、日本では「赤信号みんなで渡れば怖くない」という言葉が流行語となったて行きます。当時活躍していたツービート(映画監督としても有名になったビートたけしが流行らせた懐かしいギャグです。頂上から転落して行く国では、この様な流行語が蔓延して行くのでしょう。国民各自の自己の思考は凍結され、ただ万人向けの奇想天外なアドリブ的な言語のみが大衆に受け入れられて行くのです。自分たちの精神が徐々にに蝕まれて行くのも知らずに…。口に馴染みやすい享楽的な言語「のみ」が流行し、自分では思考しない、マスメディアを通じた報道番組に一喜一憂するか、ときにはそれにさえ無関心になってこの国は衰退して行くのでしょうか。

第35代アメリカ大統領のジョン・F・ケネディの名言にある様、
「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい」
これが働きかた改革の基本ではないでしょうか?
明治時代、日清、日露の戦争を通して、我が国が何とか近代国家の仲間入りが出来たのは、国民一人一人が国から少しでも援助を求めるのではなく、国や家族の為に自分たちがどのような奉仕が出来るのかを問い続けていたからだと思うのです。
そのような奉仕精神の上に、日本という国は豊かになって行けたのです。それが21世紀の今日は真逆の発想になっています。自分たちが払う税金より、もっと多くの福祉政策を求め続けて行けば、日本という国は世界でも最貧国の国へと転落して行くしかないでしょう。
事実この国の一人当たりの生産性は先進諸国中で21位と、最下位に近いのです。国会における野党勢力のように批判ばかりを言っていても、私たちの生活は一向に改善しないのです。家族という単位、職場という単位、地域社会の単位の中で、批判ではなく、前向きに自分たち自身が努力して行くしかないのです。
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