潮騒は聞こえず(27)

吉次は焦っていた、何とか一儲けしたいと。戦争に負けて、軍人も金持ちも今まで威張っていた奴らは皆んな何処かに吹き飛んでしまった。だからこそ社会の底辺を這いずり回っていた自分のような人間が、今度は這い上がる番だと心の底から思っていた。しかし世間の風は彼の考えるようには吹いてくれなかった。何処かに金儲けのうまい話しがないか、何時もそればかりを考えていた。彼は偽の診断書をもぐりの医者を脅かし書いて貰っていた。終戦直前の医学教育はずさんの極みだった。正規の大学医学部卒と医専(医科専門学校)があり、医専は当初5年間の習得期間が定められていたが、それが4年となり戦争激化に伴ない3年、最後には2年半にまで短縮されて行った。もぐりの医者など何処にでもいた。医学教育も何もあったものではない。それで吉次は何とか兵役を逃れていた。40代始めぐらいは幇間などをやっては、その日暮らしの生活をしていた。しかし吉原に軍人が横行し始めると、兵役逃れの偽の診断書の事もあって吉原の仕事もやりにくく成って来た。その頃から闇の仕事に手を出す様になって行った。しかし、どれもこれもシケた仕事が多く、まとまった金を手に入れるにはどうにかしてGHQの将校当たりにコネを付けたいと思い悩んでいた。1946(昭和21)年1月半ばの小雪の散らつく日、新橋駅に近い橋のたもとで20代後半ぐらいのパンスケが、真っ赤な口紅を毒々しく塗りたくって黒人の兵隊を盛んに誘っていた。その黒人はかなり迷っている様だった。折角の非番だ、他にもっと良い女がいないかと云った顔つきが見て取れた。何とか、このチャンスを物に出来ないかと吉次は焦った。こうなればと意を決して黒人とパンスケの間に割り込み「ヘイ、ミスタ。Don’t you like a geisha girl ?」と、下手な英語で相手の胸元に飛び込んでみた。「Is it really geisha girl ? 」「Of course .」思った以上に黒人は乗ってきた。制服の襟章はよく見ると少尉のものだった。黒人なので唯の兵隊だとばかり思っていたが。横からパンスケが、「何だい、お前は人の仕事の邪魔をするんじゃないよ。この黒人さんは私の客だよ」と、絡んで来た。「何を言ってやがる、この黒人さんは俺の前からの知り合いなんだ、パンスケのお前なんかにとやかく言われる話じゃない」と、逆に吉次は凄んでみせた。パンスケは悔しそうに引き下がって、20~30m程離れた所で、「このクソ野郎」と捨てぜりふを残して行った。
新橋からはタクシーを拾った。終戦直後、焼け残ったタクシーは日本中でわずか1500台程だった。(現在は東京だけで5万台)、それでも東京ではそのうちの500台ぐらいの車が営業していた。特に新橋、銀座、新宿方面のGHQの兵隊たちが遊ぶ地域でのタクシーは拾いやすかった。貧乏のどん底を這いずり回っている日本人など相手にしていてはタクシーと言えども仕事にはならなかったからだ。
明日に続く
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