潮騒は聞こえず(33)

チャーリーは20才の年でほとんど強制に近い形で軍隊に引っ張られた。入隊直後はかなり反抗的で柄も悪かった。何と言ってもヨークのハーレム育ちだ。言葉も汚なかった。最初の一年間は上官に対する反抗が酷く何度も営倉(注:軍隊の中の軽犯罪者をいれる小さな刑務所)入りを命じられていた。しかし各地を転戦し生死の境を何度も経験する内にガキじみた反抗が何の意味も無い事に気づかされた。戦争と言う学校で彼は無限の教育を受けていた。5、6年と軍隊生活が長引くにつれ部下の数も多く成って来た。一兵卒から上等兵、兵長、軍曹、曹長、准尉そして少尉と階級が上るにつれ、自分の無教養さを恥じる事が多くなって来た。彼は人知れず非番の日などにはサマセット・モームやチャールズ・ディケンズなどの本を進んで読む様にした。これまでの彼の思考過程ではあり得ない変化だった。ヨークの仲間が知ったら気が狂う程に笑いころげるに違いない。余りに多くの死と接する内に、ふと気が付くと聖書の中に助けを求めている様な事さえあった。
そしてチャーリーは今や36才、彼は人格と言う年輪を戦争の中で重ねて来た。その年輪の過程で鈴枝と出会った。それは運命の悪戯とも言える出会いであったかもしれない。でも彼等は結ばれた。三度目の出会いで彼等は男と女になった。鈴枝は生まれて初めて男と女の性の意味を知った。初めての旦那は水揚げの彼女を優しく労わる様に接してはくれたが、それは遊び慣れた旦那の趣味の一つでしかなかった。それ以外の多くの男たちは、ただの通行人でしかなかった。軍人として鍛え抜かれたチャーリーの体躯は筋肉で引き締まり黒人特有のビロードの様なその皮膚の感覚は鈴枝を未知への世界へと導いて行った。限り無いチャーリーの慈しみと性愛の前で、彼女は自分の全てを、女としての全てを彼に捧げて何の後悔もなかった。
明日に続く
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