潮騒は聞こえず(35)

愛が深まれば苦悩も深まる。チヤーリーは一人の女性にここまで己の心を奪われた経験がない。彼女の為になら惜しむべき物は無いに等しい。しかし愛の営みだけで何時までも人が生きて行ける訳ではない。生きて行く為には食も住も衣類も、それ以外にも必要な物は幾らでもある。それには何としても先立つ物が、生活を豊かにする為の経済力が必要だった。
これまでチャーリーは、金の事を余り考えずにすんでいた。住む所は基地内の将校宿舎だし、食べる物も将校クラブ内で、ただ同然で飲み食いが自由に出来た。着る物は制服がほとんどで後はカジュアルなセーターやジーンズぐらいだった。将校としての給与は3分の1は国に送り、半分以上は自分の小遣いに消えた。その多くは女遊びに使ってしまったのだが。だから貯金らしい物は殆どなかった。しかし鈴枝との生活が始まってからは、これまでの様な金銭感覚では済まなく成って来た。鈴枝の住む借家に何時までも居候の様に住み付いている訳にもいかないし、もっとも食料品の多くは軍需物資から、くすねたりはしていたが、誰でもが普通に要領良くやっていたから特に罪の意識もなかった。しかし鈴枝に当然手渡すべき生活費は何とかしなければならない。それにチャーリーは鈴枝の着物姿が一番好きだったので、着物の一揃えも偶(たま)には買い与えたかった。あれやこれやで今までとは比べ物にならないくらいの金が必要であった。鈴枝を愛おしく思えば思うほど、チャーリーは現実の生活との狭間(はざま)に悩み始めた。そんな愛と苦しみの淵で思い悩んでいる時だった吉次が顔を出したのは。
吉次はこの一ヶ月程に数回はチャーリーの許に顔を出していた。チャーリーは嫌々ながらも来たら来たで吉次に多少の小遣い銭を渡していた。かっての女漁りが吉次の口から鈴枝に漏らされるのが辛かったし、それ以上に吉次の口から自分が国許に女房や子供を残していると言う事実を明かされないか不安であった。この男は自分にとって都合の悪い秘密を幾つも知っている、そんな吉次にどうしても強く出る事はできなかった。鈴枝を紹介してくれたのも吉次である。その事実はどの様にしても否定しえなかった。その鈴枝を今は世界で誰よりも愛している。チャーリーの愛と苦しみは深まるばかりであった。
明日に続く
関連記事

コメント