潮騒は聞こえず(36)

「また来たか」といったチャーリーの不機嫌そうな顔はいつもの事ではあったが、今日は少しばかり雰囲気が違っていた。やや哀願する様な眼差しで吉次の顔を見ている。チャーリーに転勤命令が出たのである。彼は現在「赤坂プレスセンター」に勤務していたが、近日中に「キャンプ座間」に移動しなければならなくなった。北千住から赤坂までだと17kmぐらいだが、座間だと60km近くはあり、3倍以上の距離だ。そうなると今の北千住からではとても通い切れない。何とか座間の近くに鈴江と二人のハウスが探せないかと、吉次に頼んで来た。「何だ、そんな事ですかい。お安いご用だ。それで何時までに探せば良いんですかい。何!後10日だって。そりゃ大変だ。でもまあ何とか頑張ってみますよ。そんな事よりチャーリーさんよ、これからどうする積もりです」と、吉次が一癖ありそうな顔つきで聞いてきた。今や話し方も殆ど友だち感覚だ。「どうするって何の意味だ。ただ二人のハウスを探したいだけだ」「これからも鈴江さんと一緒に生活するんですかい」「そんな事は決まり切っている」「それじゃヨークにいる奥さんや子供はどうするんですかい。第一その事を鈴江さんには何も言っていないでしょうよ」と言われ、チャーリーは一瞬言葉に詰まった。しかし直ぐに「ヨークのワイフとは時期が来れば別れる」と、言い切った。「そこまで決意をなさっているんで、それなら私などがとやかく言う事は何もないや。まあ、それはそれとして新しく家を一軒構えるとなりゃ、それなりの金もかかるでしょうが。私が口を挟む事でもありませんがね」と言われて、チャーリーは少し怒った様な顔をして吉次を睨んだ。そして鈴枝に声をかけた。「スズエ、ちょっと用事が出来たので吉次と少し出かけて来る」「あら直ぐ夕食になるのよ。早く帰って来てね」と言われ、チャーリーはにこやかな笑顔で「OK! 直ぐに帰るから大丈夫」と答えた。
二人は駅近くの喫茶店に入り、それぞれにコーヒーを注文した。話の口火はチャーリーから切った。「確かにYouの言う様にMoneyには困っているのよ。そこで相談だがYouの欲しい物を何とか手に入れるから、それをMoneyに変えてくれないか。ウイスキーとかタバコとかMoneyになる物は幾らでもある。月に何回かYouに必要な物を手渡すから何とかして欲しい」「それって軍需物資の横流しかい」「吉次、少し声が大きいよ。Youは何も聞く必要ないよ。私一人でやる事だから余計な興味は持たない方が良い」と、吉次のそれ以上の質問を遮った。
明日に続く
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