潮騒は聞こえず(38)

ともかく吉次は座間の近くの貸し物件を探しに探した。3日目に手頃な借家が見つかった。8畳、8畳、6畳にキッチンとバスルームがある。それも全てが洋間だ。米軍基地の周辺ではGHQ相手のそういった借家が少しづつ増えていた。何と言っても今やGHQ相手の仕事が最も商売の効率が良い。特に基地周辺では、その傾向が強かった。敷金、礼金を含めると少し割高感があったが、何にしても時間がない。わずか10日間で引っ越しまで済ませようと言うのだから滅茶苦茶な話である。それでも吉次はこれから得られる大きな獲物を目前にして、懸命に今はチャーリーの家来にでもなったかの様に忠実な仕事をした。この不動産物件探しの為にチャーリーからは50ドルを預かっていた。昭和24年の外為法が成立する以前は多少は緩やかだったが、それでも日本人が勝手にドルを持ち歩く事は許されなかった。日本国内では終戦直後、極端にドルが少なかったのである。1ドルが360円の時代である。海外から必需品を輸入しようにも購入する為のドル保有が国家としては無いに等しかった。ドル保有率を上げる事は国として至上命令であった。そんな時代に一民間人が50ドルもの紙幣をふらふらと持ち歩いて許される訳がない。警察にでも見つかれば直ぐに尋問され厄介な事に巻き込まれる。しかし闇屋の吉次は裏の裏まで知り抜いていた。闇ルートでの為替交換屋は上野辺りのバッタ市場には幾つかあって彼等は常に警察の目を気にしながらも、その日その日を生き抜いていた。その中の一つに吉次が行きつけのバッタ屋があった。60台前半の如何にも強欲そうな顔つきをしたばあさんが、胴巻きにドルと円をはち切れんばかりにしていた。そのばあさんの店に出かけ吉次はいつもの様に声をかけた。「ばあさん、今日のレートは幾らだい。50ドル程を曲げ(交換の隠語)て欲しいんだがよ」「そうだな320円でどうだい」と、ばあさんはがめつい目つきで答えた。「そりゃあんまりだろう。40円もの手数料は高すぎないか。せめて350円が良い所だろう。この前は20ドルしかないのに345円で曲げてくれたじゃないか。今日は50ドルだぜ、それを320円って言うのは、足許を見るのもたいがいにしろよ」「事情が変わったのよ」「どう変わったんだい」「ガサ入れが多くなったのよ。3日前にも仲間が一人ガサ入れを食らって500ドルもサツの野郎に持って行かれちまったのよ。俺たち弱いもんばかり虐めてどうするんだ。だから前の手数料じゃあ合わねんだ、危険手当てが入っているのさ。嫌ならよそに行ってもらったって構わないんだよ」と、ばあさんはかなり強気だ。「仕方ないな、じゃあ後10円だけ何とか色を付けてくれないか。頼むぜ、そうじゃないとこっちも持ち出しになっちまう。何とかそれで手を打ってくれ」と、吉次はねだる様に頼みこんだ。結局は330円で話は成立した。こうして吉次は16500円の金を手にした。正規の為替レートから計算すれば1500円もの差損だ。「あの業突くばばあ」と、吉次は胸の中で一人吼えた。
明日に続く
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