潮騒は聞こえず(48)

6月13日(木曜)は朝から曇り空で時々小雨がポッンポッンと降る程度だった。昨日坂道の泥濘(ぬかるみ)で横転した山村運輸のトラックは出て来なかった。破損がひどく使用には耐えなかった。タイヤがパンクした2台のトラックは修理を終えて10時頃に到着していた。つまり今朝の日本側のトラックは29台しか出動しなかった。それでも昨日の天候と比べると作業は格段に捗った。最初の10台は午前10時20分には出発し、徳治の3台のトラックは脇目も振らず真っ直ぐに目的地に向かった。座間には昼の12時に着いた。3台目のトラックの食糧品を点検していた下士官のアントニーが「この食糧品は使い物にならない」と、怒鳴った。「何がどうした!」と、チャーリーがトラックに急ぎ乗り込んで来た。「何だ、この保存状態は話しにならない。廃棄処分にするしかない」と、徳治の3台目のトラック運転手に廃棄処分指示書が手渡された。仕方なくトラックは座間から5km程離れた廃棄処分所に向かい、2kmちょっと走った所でトラックは急に方向転換した。そのまま本郷の土蔵に突き進んだが、トラックの食糧品には何の損傷もなかった。徳治がどうしても欲しいとチャーリーに懇願していた上質のカリフォルニア米8トンが土蔵の中に消えて行った。午後3時、徳治の3台のトラックは申し合わせた様に横浜港にとって返した。そして午後4時半には積荷を終え座間に向かって再び出発し、その中の一台だけが本郷の土蔵に向かって行った。2台のトラックは午後6時には座間に着いた。その直前に軍用トラック2台が来ていた。銃器弾丸の格納に米軍兵士は神経を尖らせていた為に、食糧を積んだトラックの運搬は後回しにされ、1時間以上は待たされた。受領サインも形式的だった。こうして最初の2日間が何事もなく過ぎ、わずか2日で本郷の土蔵にはトラック5台分の軍需物資が隠匿された。予想外の成果である。
6月14日(金曜)は朝から天候が悪く横浜港からの荷揚げ作業は捗らなかった。昼には雷鳴が轟き1時間近くは集中豪雨にも見舞われ、荷揚げ作業も1時間以上は中止せざるを得なかった。その隙間を狙う様に徳治の使用人たちは軍需物資を本郷の土蔵へとひたすら運び入れた。こうして6日間で土蔵の中にはトラック11台分の軍需物資が運び込まれた。横浜港から荷揚げされた物資はトラック120台分だったから、徳治たちの横領は驚く程の成果を上げる結果となった。天候の悪さと幾つもの幸運が重なった出来事であるとも言える。
明日に続く
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