潮騒は聞こえず(52)

チャーリーの思惑通り、日系人の鈴木は仲間に入る事に同意した。もちろん横浜港での物資横領に関しては一言も口にしなかった。基地の連中も徳治もそんな事は言うまでもなく阿吽(あうん)の呼吸で心得ていた。5日後に吉次の遺体が土左衛門となって相模川で発見された。腐乱状態が酷く身元確認は困難であった。当時、終戦後の混乱の中で職もなく住む所もなく、自分の未来に絶望して自殺する人間が後を絶たなかった。隅田川、荒川、相模川では毎日の様に土左衛門が上がっていた。そんな状況下では検死は形ばかりのものでしかなかった。こうして吉次の遺体も身元不明のまま処理された。
徳治はある日から吉次が全く顔を出さなくなったので、ちょっとした疑念は抱いたがともかく忙しかった。土蔵の中の膨大な軍需物資をどうやって売り抜くかが、当面のもっとも大きな課題である。売り急いでも危険だし、のんびりしていたら金策に尽きる。今回の物資横領の為に徳治はあらゆる所から金を借りまくっていた。しかし徳治にとって最大の幸運は、カリフォルニア米30トンの獲得である。さらに小麦20トンも大きい。米問屋本来の仕事が出来るのだ。タバコ、葉巻、洋酒、缶詰、砂糖等は時間をかけ各地のバッタ市で目立たないように売りさばいて行った。米と小麦の売却は早かった。米一升(約1.5kg)が闇ルートでは20円ぐらいで取り引きされていた。公定価格は1円50銭ぐらいである。つまり30トンの米は40万円近くで売りさばけた。小麦は2万円ぐらいにしかならなかった。缶詰12万個は一つ3円で36万円程になった。砂糖の売れ行きが絶好調で40万円と、思った以上の値段がついた。タバコが30万円、洋酒に至っては50万円にもなった。その他、諸々の物を合わせ徳治の懐には300万円からの金が入った。この仕事の為に徳治が使った金はどんなに多く見積もっても100万円にはなってはいない。彼の懐に入った200万円以上の金は、現在のお金に換算すると10億円近くの金額になるかもしれない。これで徳治の店は一気に持ち直した。ここから彼の商才が如何なく発揮された。闇市でゴールデンバット(国産の最も安い紙巻タバコ、1906年9月発売)や日本酒その他を大量に仕入れ、それらとの物々交換で近郊農家から米を思う存分に仕入れ、闇市でさばいた。もちろん規制米の正規販売も続けてはいたが、それは表向きに過ぎなかった。時々はバッタ市で土地のヤクザに絡まれる事もあった。そんな時は関東一帯をしきる頭、富三郎の名前がきいた。その名前を聞いただけで彼等は一様に引き下がった。こうして徳治の稼業は益々栄えていった。
明日に続く
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