潮騒は聞こえず(57)

徳治は再婚した。50の年であったが、どうしても男の子が欲しかった。相手は25才の美鈴で親子ほど年は離れていたが、女が子供を作ると成れば適切な年令だろう。道子は3人の娘たちの母親役にのみ専念した。一年で早くも美鈴との間に待望の男児に恵まれた。徳治は狂喜し男児と、その母親を溺愛した。翌年にまた男の子が生まれた。こうなると徳治の美鈴に対する溺愛は留まる事を知らなかった。道子の影は日々薄くなって行った。1961年3月、紀子が高校を卒業した年を区切りとして道子は徳治に暇乞(いとまご)いを申し出た。徳治の二人の娘たちも17と16で母親を欲しがる年でもなかった。それなりに世話係もいたが年頃の娘たちの意識は、友達関係やクラブ活動と外に向かっていた。徳治は多くを語らず当面の生活費(2年分ぐらい)だけを差し出した。手切れ金なのか退職金なのかは分からなかったが、道子は黙ってそれを受け取り「お世話になりました」と、一言述べそえて軽く頭を下げた。「うん、色々と世話になった」と徳治はうなづいて、そのまま立ち上がり何処かに行ってしまった。事業欲に狂い出していた徳治にとって、道子は過去の女となっていた。39才になっていた彼女は箱根の旅館で女中奉公を始めた。これが最も自分に合った仕事の様な気がしていた。少なくても一人娘の紀子を高校まで何不自由なく行かせてもらった事は感謝すべきだと自分自身を納得させていた。18才の紀子は川口の町工場で経理事務の仕事に就いた。住み込みで家事の手伝いも少しはやらされた。紀子もまた住み込み以外に己の寝るべき場所がなかった。そのまま3年の月日が静かに流れて、紀子が21才の時に清吉と縁談の話がでた。話は思いのほか簡単にまとまり、半年後には夫婦の契りを結んでいた。義父の貞夫は大工の仕事に精を出し、義母の富江と清吉そして紀子の3人は食堂の仕事に忙しかった。結婚一年目で月のものが数ヶ月間止まったが流産で終った。清吉は口数こそ少ないものの心根は優しかった。地味な生活ではあったが平穏な一年だった。嫁いで一年が過ぎた12月の始め貞夫が仕事中に、屋根裏から足を踏み外し大怪我をしたあの日以来、吉沢の家は少しづつ坂道を下りはじめていた。それでも義母の富江が生きている間は未だ一家の形を成していた。酔っ払いの貞夫の防波堤の役割を何とか果たしていたから…その富江も58才で亡くなり、60になった貞夫は益々酒びたりの日々となり、店の金は持ち出すやら、道路端で寝ているやらで、何度も警察の呼び出しも受けていた。箱根にいる道子からは幾度ともなく離縁の話が持ち出された。まだ24才の紀子の事を考えれば自分の過去の日々と折り重なって、せめて一人娘の我が娘だけには普通の生活を過ごしてほしかった。しかし紀子にしてみれば今ここで、自分がこの家を出たら清吉の人生はどうなるのだろうかと考え、母親の話をすぐには受け入れられなかった。
明日に続く
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