潮騒は聞こえず(58)

1970年2月、みぞれ混じりの寒い朝63才の貞雄が便所で意識を失った。紀子が丁度起き出し、ちゃんちゃんこを寝間着に羽織って朝の支度にかかろうとしていた時である。便所の方角から何か倒れる物音がした。泥棒でも入って来たのかと不安になり直ぐ清吉を起こした。二人で便所の方に恐る恐る近づいてみると貞雄が倒れていた。どのように呼びかけても全く反応がない。急ぎ救急車を呼び、近くの総合病院に運び入れてもらった。取りあえず保険証と財布を持って清吉が父親に付き添って救急車に乗り込んだ。生まれて始めて乗った救急車であったが、急げば急ぐほど車が揺れる。これで病人の安静が本当に保てるのかと思う程である。早朝の街中に響きわたるサイレン音は不安な神経を増幅させる。もしかしたら親父は、このまま死んでしまうのではないか、そんな考えが強くなる。朝7時過ぎ病院に着く。救命救急入口では医師と看護婦がすでに待機していた。彼等の仕事は実に機敏である。血圧を測り点滴を上腕に差し、あっという間に人工呼吸器まで取り付けた。清吉は促されるままに入院手続きをし、そのまま病院の廊下で2時間以上は待たされた。廊下は寒々としていて身も心も冷えて来る。午前10時頃になって医者が説明に出てきた。「血圧が230以上もあるが何か薬は飲んでいますか」と、聞かれる。「いえ、病気らしい病気はした事がないので薬など何も飲んでいません」と、清吉は答えた。大体が医者嫌いの親父だ。酒は飲んでも薬など飲む訳がない。「脳脊髄液の検査から考えると、脳出血でしょう。手術をしないと命の保障は出来ません」と、医者は職業的な説明を淡々とした。「手術をすれば命は助かるのでしょうか」「それは分からないが、非常に危険な手術である事は確かです。でも、このまま放置しておけば良くても植物人間に、悪くすると生命的危機が数日以内にもやって来るでしょう」「それって死んでしまうと云う事ですか」「そう云う意味です」
清吉の頭は混乱した。誰かに相談したくても誰いない。家に帰って紀子に相談したいとも思ったが、そんな時間の余裕もなさそうだ。医者の話だけを聞いていると、一か八かの大手術みたいだ。それでも承諾するしか道はなさそうだ。「分かりました先生、どうか手術をして下さい。お願いです、何とか父を助けて下さい」と、足が地に付かぬ上ずった声で清吉は頭を深々と下げた。「分かりました、最善の努力はします」と、医者は答えてそのまま手術室に消えていった。しばらくして手術は開始された。手術は延々と続いた。午後1時頃になって紀子がやってきた。こんな時間まで何をしていたんだと口に出かかったが、それを察したのか彼女から言い訳じみた答えが返って来た。「遅くなってご免なさいね。でもあの後、便所の掃除も大変だったのよ。お父さんの垂れ流した小便やらウンチやらが、そこらへんにこびり付いて…それ以外にもお店の臨時休業の張り紙をしたりして、こんな時間になってしまったの。それより食事は、何か食べたの」「いや、未だ何も食べていない」と、清吉は幾らか気持ちを取りなして答えた。「私も何も食べていないの。体に毒だわ、一緒に何か食べに行きましょうよ」と言われて、彼も急に空腹感を覚えた。
明日に続く
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