潮騒は聞こえず(63)

20日過ぎても貞雄は目覚めなかった。人工呼吸器も外せなかった。清吉は紀子の反対に会い、気管切開に同意しないまま貞雄の生命力に賭けた。自分が大工になれなかったのも、貞雄がアル中になってしまったのも、それが定められた運命なのかもしれないと考える様になって来た。もう30も過ぎて、毎日食堂の厨房で、天ざるだとか、カツ丼だとか、刺身定食などを作り続け、それなりの実入りはあるが、大工職人の父親と自分とで何がどう違うのか、実入りが多いとか少ないとかで人間の価値が決められるのかを悩み抜いていた。貞雄が倒れて2日間は店も閉じていたが、それ以後はいつも通りに営業はしていた。しかし気持ちは定まらなかった。少しでも美味しい物を作って客を喜ばせようと云う思いが稀薄になり、唯いつも通りの仕事をいつも通りに熟していた。清吉は事の成り行きで店の後を継いでしまったが、料理作りそのものは好きで色々なこだわりを持って努力していた。ほとんど独学であったが、かつお節は鹿児島の枕崎のものと決め、昆布は北海道利尻、醤油は千葉の下総、味噌は京都の白味噌、米は新潟魚沼産と彼なりの工夫を重ね、包丁一本にも新潟三条ものと、こだわりを捨てなかった。だから店の構えが小さい割りに客足は良かった。大工なら大工、料理人なら料理人と仕事そのものに自分のプライドを持ち続ける気性は父親譲りかもしれない。手術後26日目、貞雄の意識はやっと覚醒した。28日目には人工呼吸器もどうにか外せた。正に奇跡の回復力である。30日目からは五分粥が少しではあるが口に出来る様になって来た。清吉は心の底から喜んだが、紀子の気持ちは複雑であった。まさか、こんなに早く食事が取れる程までに回復するとは思いもしなかった。2ヶ月経って医者から転院を勧められた。しかし未だ歩く事はともかく、一人で満足に座っている事さえ出来ず、食べるのも誰かの介助が必要であった。このまま家に連れて帰ってもどうにもならない。幸い医者は伊豆にある温泉病院を紹介してくれた。そこでゆっくり養生すれば良いとも言われる。この温泉病院行きに紀子は大賛成だった。「あなた、温泉病院でゆっくりお父さんの体を回復させると云うのは、とても良い考えだと思うわ。昔から体の養生には温泉が良いと言うじゃないですか」と言われ、清吉もその気になった。4月、桜の花も散って葉桜になったころ貞雄は伊豆の温泉病院に転院となった。温泉病院からは寝台用の車が手配されたので移動は楽だった。当日は店を閉め、夫婦二人が病院からの車に同乗させてもらい午後1時半に伊豆へ向かった。片道3時間は越える長い道のりで、病人の貞雄は疲れ切った顔をしていた。病室に入り一息した時は早くも午後5時になっていた。夕食の時間になっている。長い時間、車に揺られたせいもあって貞雄は何も口には入れようとはしない。それを清吉が励まし、おだてて1時間近くもかかって何とか半分以上は口にさせた。その様子を脇で見てて紀子は、ほとほと感心した。この人の親を思う気持ちは一体どこから出てくるのだろうと…。二人はその日、病院近くの温泉宿に泊まった。二人で旅館に泊まったのは初めてであった。新婚旅行にも行かなかったのだ。だからと云って甘い雰囲気に浸るような気分にもなれないし、食事をして風呂に入って二人は別々の布団で直ぐに寝てしまった。
明日に続く
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