潮騒は聞こえず(70)

1973年1月初旬、ようやく七草粥も過ぎ去った頃の午前2時過ぎから紀子は、急激なお腹の激痛におそわれた。まだ予定日までには10日余りはある。間欠的に襲って来る腹痛は陣痛の様でもある。陣痛はゆっくりと徐々に襲って来ると聞いていたが、この痛みは普通ではない。顔からは脂汗が滲み出て痛みは激しさが増すばかりだ。「あなた、あなた、陣痛が始まったみたい。ねえ、起きて。さっきからお腹が痛くて、堪られないの、お願い起きて」と、紀子に体を揺り起こされ、清吉は眠そうな目をこすりながら起き上がった。「タクシーでも呼ぶか」「だめ、タクシーなんか辛くて乗れないわ」「じゃあ、どうする救急車か」紀子は痛みに耐えかねる苦痛に満ちた顔で「救急車、救急車を呼んで」と、悲痛な叫び声を上げた。そんな彼女の苦痛の色を見て、さすがに清吉も焦りだした。「待ってろ、今すぐに救急車を呼ぶから」と言って、一階レジ脇の電話機に駆け下りて行った。救急車が着くまで15分近くはかかった。紀子の苦痛の度合いは増して行くばかりだ。わずか15分間の長い事。清吉には何をどうして良いのか、まるで分からない。仕方なく彼女の背中をさすり続けた。「大丈夫か、頑張れ」病院の先生に教わったラマーズ法を清吉は思い出した。紀子が病院で聞いて来たラマーズ法と云うのを彼に説明し、その時は面白半分に二人でやってみたのだ。「紀子、ラマーズ法だ、俺と一緒にやってみよう。そら、ヒツ、ヒツ、フー。頑張れヒツ、ヒツ、フー。もう一度ヒツ、ヒツ、フー」と清吉は背中をさすり続ける自分の手のシビレさえ忘れて、彼女を励まし続けた。そしてやっと救急車が来た。地獄に仏を見る様な思いだ。彼も同乗して救急車に乗り込んだ。安心感と不安とが折り重なった様な複雑な感情だ。紀子の出産が無事に済んでくれるのか、五体満足な赤ん坊に恵まれるのか、揺れる救急車の中で清吉の心も揺れ動いていた。かかりつけの産婦人科病院では、すでに知り合いのナースと医者が待ち構えていた。清吉が前もって病院に連絡しておいたのだ。紀子はそのまま分娩室に搬送された。かかりつけの佐久間医師はトラウベを紀子の腹部に当てて、胎児心音の確認をした。しかし彼の耳では心音のリズムを微動だにも捉える事が出来なかった。色々と角度を変えて心音の確認を急いだ。しかし、どの様に角度を変えても胎児の心音は聞こえて来なかった。彼の脳裏に不吉な予感が走った。開腹手術をするしかないと彼は決意した。幸いな事に1時間前に帝王切開の手術が一件あって、手伝いの医師がもう一人当直室で休んでいた。ナースに当直室の医師をすぐに呼びに行かせ、紀子の身体は分娩室から手術室へと急ぎ移動させられた。佐久間医師は分娩室の前で心配そうにただずんでいる清吉に「自然分娩は厳しそうなので帝王切開に切り変えますが、ご了承頂けますか」と、同意を求めに来た。「赤ん坊も妻も大丈夫ですよね」と、清吉は震える声で医者に尋ねた。医者は一言「最善の努力はします」と、話して手術室へと足を急がせた。赤ん坊が死産であった事は、今少し伏せておいた方が良いだろうと佐久間医師は考えた。何よりも急を要するのだ。
明日に続く
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