潮騒は聞こえず(75)

紀子は大学病院の退院後10日ばかりは自宅で寝たり起きたりの生活をしていた。3月中旬頃から床上げをして、そろそろ店の手伝いを始めようとエプロンをしかけた所に、清吉がやって来て「まだ無理をするな」と、労りの言葉をかけた。「ううん、あまり寝てばかりいると身体が生ってしまう」と、少し甘えた声で言い返した。「じゃあ気晴らしにデパートでも一緒に行くか」と言って、紀子のエプロンを清吉が脱がせてしまった。「本当に、私と行ってくれるの」「ああ本当だ、伊勢丹にでも行くか」と、清吉は笑顔で答えた。「うれしい!」と言って紀子は彼に抱きついた。清吉は彼女の耳たぶを甘嚙みして「好きだよ」と答えた。そんな言葉を夫の口から聞かされるとは考えもしなかった。幸福感で自分の頬が紅くなっていった。夫婦でデパートに行くなんて、これまで考えもしなかった。紀子はスプリングコートを買ってもらった。1枚のコートを買うのに、あれこれ悩み2時間以上はかかってしまったが、清吉は終始にこやかに彼女の思い通りにさせていた。そればかりか「向こうにお前に似合いそうな薄いピンクのセーターも良かったがなぁ」とまで言ってくれた。紀子は思わず彼の顔を見返して「そんなに女房を甘やかすと、後で後悔するわよ」と、笑みをたたえながら口元をいたずらっぽく尖らせてみせた。紀子の全身の出血班はすっかり消え、ガリガリだった体重もかなり増え確実に以前の健康な身体を取り戻しつつあった。一時のあの絶望的な日々を思うと、デパートであろうと、映画であろうと紀子の行きたい所に自分が付いて行くのに、何の苦労があると云うのだ。失いかけた紀子の命が戻って来たのだ。この世に神と云うものが存在するなら、どの様に感謝の祈りを捧げても足りない。紀子と二人で過ごす時間を大切にする事こそ、神への祈りに通じるのではないのかと清吉は考え始めていた。それは生死の境を乗り越えた者だけが知り得る感覚なのかもしれない。人の生き様(ざま)は、学校教育や社会的地位などで推し量れるものではない。己が歩んで来た人生経験から何を学ぶか、そして如何に自分を見つめ直すかの度量にかかっていると言っても過言ではあるまい。その一生を通じて何も学ばない人の群れが、どれ程に多い事か。「何の為に生きているの!」と言う質問にどれ程の人間が答えられるのか。でも高校もほとんど行っていない清吉には答えられた、「愛する紀子の為に」と。彼は自分の妻が命の極限で、ぎりぎりの垣根を乗り越え戻って来た僥倖を目の当たりにして、人生の意味を彼なりに考え直していた。
人は大きく分かれる。余りに不遇な境遇に立たされた時、全てを他人の責任にする人と自分の愚かさに気づく人とに。
明日に続く
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