潮騒は聞こえず(76)

清吉が伊豆に出かけるのは3ヶ月ぶりだった。紀子の入院騒ぎで父親の見舞い所ではなかった。毎月の入院費用は現金書留で送金していたし、月に2度程は担当のナースに貞雄の容態は聞いていた。久しぶりに見る父親は元気そのものだ。車イスの使い方も上達し右手、右足を器用に動かし、ほとんど一人で乗り回している。そればかりか杖だけでも5mぐらい何とか歩ける様になっている。生来が負けん気の強い人間だから、やりだしたら徹底的に頑張るのだろう。そればかりか言葉の使い方が驚く程に進歩している。多少はもつれるが、ほぼ普通の会話が成り立つ。清吉の顔を見るなり「なにを、え…なにを。おやをすてたのか、え…このバカ」と、いきなり言われて返答に困った。仕方無く清吉は「紀子が大変な病気にかかって大学病院に2ヶ月近くも入院していたんです」と説明した。「のりこが、のりこが、どうしたって」「だから紀子が大変な病気で…」「だから、ど、どうした。そ、それでおれを、え…すてたのか…」「そうじゃないでしょう、お父さん。今日もちゃんと来ているじゃないですか」と一様の言い訳はしたが、全く通じない。やはり3ヶ月間も見舞いに来ていなかったので寂しかったのだろう。それからも2~3分は散々に嫌味を言われたが、黙って聞き流す事にした。しかしそのままでは益々、怒りをかいそうなので、貞雄の肩や腰のマッサージを始めた。10分程マッサージをしている内に機嫌も直って来た。後は30分程、車イスに乗せ病院の庭を散歩した。病院の桜は今まさに満開で、ソメイヨシノの花びらが風に乗って一枚(ひとひら)、二片と肩に舞い下りて来る。「お父さん、花がきれいですね」「うん、そ、そうだな」と、貞雄の機嫌もだいぶ良くなって来た。この先、この父親の世話を何処までし続けて行けるのか、父親の介護を優先するのか、紀子との夫婦生活を重んじるのか、それとも親子3人の共存生活が可能なのか、桜の花はこんなにも美しく咲いているのに、あっという間に散ってしまう。それなのに人間は何故に「生」にこだわり続けるのか。この父親は、なぜ生き続けようとしたいのか。大工としてのプライドと人間としてのプライドは別なのか。象は自分の死期を悟った時、何事もなかったかの様に黙って象の墓場に向かい、その最期を静かに迎えると云う。桜花の儚き美しさと、自分の置かれた状況を思う時、清吉はただ見とれる程に美しい桜木の下、車イスを押しながら考えずにはいられなかった。この父は本当に人間としての最後のプライドまで失ってしまったのかと。
明日に続く
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