潮騒は聞こえず(77)

紀子もすっかり体調を戻して以前の様に、食堂の女将としての仕事に精を出していた。店も拡張し、隣地の空き地を30坪ほど買い足し客席数も、これまでの2倍近くまで増やしていた。客席の個室も8畳一間から二間と増やした。板前も清吉を入れ4人になっていた。店員も全部で8人となり、酒は日本各地から銘酒を選別し、北から南まで50近い名だたる酒は常に揃えておいた。酒も料理も美味いと云う噂は、どんどん広がり閉店時間の10時になっても客足は減らず、何とか店仕舞いの出来るのは何時も午前0時近くになっていた。店の拡張だけではなく、2階の住宅部分も大幅に改造していた。貞雄の帰る日も考え、8畳の洋室に洋式のトイレまで設置した。更にそれまで急勾配だった階段も踊り場を付けなだらかにし、手すりまで取り付けた。この2階の改造には反対こそしなかったものの、紀子は終始不機嫌だった。やはり貞雄を、この家で介護するつもりでいるんだと云う、清吉の胸の内が露骨に読み取れたからだ。確かに貞雄の体調はすこぶる改善していた。言葉もほとんど不自由なく使える様になっていた。これ以上、伊豆の病院に入院を続けさせる理由も見当たらない。病院からも再三の退院勧告が出ている。それを自宅の改築中だとか色々な事情を説明して引き伸ばしていた。ともかく紀子は貞雄の退院を出来る限り遅くしたがっていた。しかし、それにも限度がある。
1973年11月初旬、貞雄は伊豆の病院を退院となり実に3年9ケ月ぶりに我が家に戻って来た。家に帰り着いたのは午後5時過ぎで、3時間余りもタクシーに揺られ疲れたのだろう、その時は何も言わず新しい手すりにつかまりながら何とか2階にまで上がって行った。2階に上がってもしばらくは自分の部屋が何処か分からず、まごまごしていた。4年弱の間に家の中はすっかり変わっているので貞雄がまごつくのも無理はなかった。これまでは和室6畳の部屋だったのが洋間8畳に変わりベッドまで据え付けられているのには、ただ驚くばかりであった。「俺が丹精こめて作った家を、勝手気ままに作り直しやがって」と云う思いが、脳裏の片隅をかすめたがそれ以上に疲労感が強く、ともかく清吉の言うがままに用意されたベッドの上に横たわって一休みした。1時間以上は倒れるように寝てしまった。夕方7時頃、清吉が夕食を運んで来た。病院では見た事もないご馳走が並んでいた。刺身の盛り合わせに天ぷら、茶碗蒸しに、十割そば、香ばしい味噌汁、ご飯だけは少し柔らか目になっていたが、フルーツまで付いていた。それに真鯛まで備えられている。さすがに貞雄は言葉を失しなった。何だ、この贅沢ぶりはとも思ったが、急激に空腹を感じ、箸とスプーンを交互に使いながら食べる事に夢中になってしまった。
明日に続く
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