潮騒は聞こえず(88)

伊豆の病院から貞雄を連れ戻した時は清吉なりに、何とか親子三人で同居する方法を模索していた。貞雄の為の居住空間も精一杯、快適にしようと金もかけ工夫もした。しかし直ぐに寝酒を執拗にねだり始めた。それも何とか散歩と云う条件で引き伸ばした。あれだけ酒の飲み過ぎで命を落としかかったと云うのに、また同じ過ちを繰り返したいのか。自宅に戻ってからは、月に二回はかかりつけ医の往診も頼んで血圧の調整もしてもらっている。近所で開業している木村医師は、母親の時代からの付き合いで貞雄の酒乱ぶりはよく知っている。だから往診に来る度に「酒は飲んでいないだろうな、また前の様に酒を飲んだりすると今度は間違いなく肝硬変で命を落とすぞ。もうこれ以上、息子さんに迷惑をかけるんじゃないぞ」と言ってくれたりもした。その場は貞雄も大人しそうに頷いてはいるが、医者が帰ると「何を言っていやがる、俺は肝臓が悪くて入院したんじゃない。伊豆の山崎先生は、吉沢さんは大酒を飲んでいたと云うが肝臓は大丈夫だと言っていたんだ。たまたま血圧が高かっただけよ。それに今も血圧はとっても良いって言っていたじゃないか」と、うそぶいていた。まるで反省の色がない。以前のアル中に浸っている時代は、何時も酩酊状態で昼間から話はほとんど通じなかった。だから家族の一員と云うよりは、ただの厄介ものだった。しかし4年近くも酒を止め、脳出血の後遺症は残っているものの日々のリハビリを通して、何とか意義のある老後を過ごしてもらえると期待していたが、清吉に取ってそれは大きな誤算であった。大工と云う仕事を捨て数年以上も酒びたりの生活をしている人間が、まともな人格を取り戻すと云うのは、ほとんど不可能に近い。身体の不自由さは元より脳細胞の機能も著しく低下しており、心身共に廃用性の機能障害が日々進行して行くのが一般的である。これら廃用性の機能障害を防止するのは患者本人の自覚と前向きな向上心である。では本人の自覚と向上心とは、どの様にしたら培えるか。それは飽くまでも生きたいと願う生命力と人生の目的意識である。例えば、芸術家などが自分の製作する作品を仕上げるまでは、どうやっても心身共に己を抑制し、芸の道に邁進する姿に似ているかもしれない。何の目的意識をも持たない人間に健康の為に自己抑制しろと言っても、多くの場合は生返事だけで真に聞く耳は持たない。しかし今の貞雄に人生の目的意識があるとは思えない。
明日に続く
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