潮騒は聞こえず(101)

貞雄の死を境にして、あんなに慈しみ合っていた夫婦がどんどん遠ざかって行く。二人に何があったのだろう。若さと云うエネルギーだけでもある時期、若い男女は結びついていける。
しかし若いエネルギーが消耗し自分だけの「我」が増幅して行く時、少しづつ相手への関心が薄れて行く。特に子供のいない夫婦にその傾向が強い。何故か、心の拠り所を失ってしまうのだ。子供の成長を見守って行く、生きるべき共通の目標が存在しないのだ。子は鎹(かすがい)と云う。その鎹が存在しない夫婦は寂しく寄り添うか、互いに寄り添うべき手段を持たない者同士は選択肢のないまま、ただの同居人として過ごすか、あるいは離れて別々の人生を歩むか、人それぞれに選ぶべき道は違う。
さらに経済的余裕も大きく左右する。余裕が大きければ歩むべき道が同じでも、別の方向でも選択肢に幅が出来る。選択肢の多さが、その人生を幸(さち)なるものにするか不幸なるものにするかは分からない。この二人も何故か夫々の時間と生き方を求め出した。清吉はゴルフとクラブ遊びで多く時間を使い、紀子は事業欲と絵画、宝石の収集に多大な時間を費やした。
大人になっての麻疹は重いと言われる。それを地で行く様に清吉は若い愛人に夢中になった。41才の清吉は25才の里美と何時しか深い関係となり数ヶ月前から半同棲生活に入っていた。六本木のホステスだった里美の店で週一回程度飲みに行く内、里美がゴルフを教えて欲しいと言い出し清吉も何となくその気になった。そんな話のきっかけで昼間も週に1、2回は会う様になり、ゴルフのレッスンに励んだ。2カ月ほどのレッスン後には二人で軽井沢に行き2日間のゴルフプレーを楽しんだ。
ゴルフ場ではOBの連続や空振りなど里美のゴルフは無茶苦茶で、清吉は里美の子守り役に終始して自分のゴルフはほとんど出来なかった。その夜、二人は当然のごとく結ばれた。さすがに若い肌は良かった、昼間のゴルフ場での子守り役は充分に報われた感じである。
その後も幾度か泊まりがけのゴルフに二人で出かけている内に何となく半同棲の生活になってしまった。週に3日は大久保の自宅で暮らし、後の4日は里美のマンションで寝泊まりする様になってしまった。紀子は知ってか、知らずか何も言わなかった。
そんな生活が半年以上も続いた頃、里美は妊娠した。1980年師走も迫った頃で街中にジングルベルが鳴りはじめていた。彼女は堕ろすと言いはったが、清吉はどうしても産んで欲しいと執拗に頼みこんだ。「奥さんのいる人の子供を産んで、どうやって私が育てていけるの」
「大丈夫だ、俺が責任を持って認知する」
「認知すると言っても私はどうするの。子供だけ作らせておいて私は日陰の身で我慢しろというの、嫌よ絶対に二号だとか妾だとか言われるのは。
妊娠したのは仕方がないにしても子供を産むのか産まないかは別の問題よ、今は女が泣き寝入りする時代じゃないのよ」

明日に続く
関連記事

コメント