潮騒は聞こえず(107)

1981年6月9日、里美は男の子を出産した。予定日より一日早かったが、3200gの元気な赤ちゃんだ。
「里美、ありがとう。よく産んでくれた」
と、清吉は涙まじりに彼女の手を取った。
「大きな泣き声、強そうな子だわ、清ちゃんよりずっと大物になるかも」
と、里美は男の子を産み落ろした自身から誇らし気に言った。
「そうだとも、父親を乗り越えてこそ男の子だ」
と、清吉は何を言われても嬉しくて仕方がないといった表情である。
お産も軽く母子共に順調な経過で6月14日には病院を退院した。
マンションにはすでに通いの家政婦も雇い入れ、里美母子の受け入れ体制は十分になされていた。
そうは言っても新生児の夜間授乳は、初産婦にとっては相当に過酷な労働である。
2時間毎に
「オギャー、オギャー」
と泣かれ、オムツ交換と授乳を一日中繰り返しするので、熟睡感と云うものが全く得られない。
マタニティブルーと云う現象も、この時期に発生しやすい。生後2~3ヶ月の育児は女性にとっては、ある種の戦である。
夫がその事を少しでも理解してくれるなら、まだ救われるのだが
「俺だって仕事が忙しい。お前は一日中家にいるだけじゃないか」
などと夫が言おうものなら、マタニティブルーは悪化するばかりだろう。
しかし里美に限っては全く逆だった。
清吉は家政婦を雇い入れ家事の全てをやらせたばかりではなく、彼自ら赤ん坊を入浴させたり、哺乳瓶を洗ったりと、育児そのものにも積極的に参加した。
里美に小言を言われながらもオムツ交換も嫌がらずにした。
可愛いくて食べたくなるくらいの小さなお尻、ピカピカのちんぽこ、夜中の泣き声はオルゴールの音の様だ。
「今晩も元気にママのオッパイを一生懸命に吸っているのだ」
と考えると、小さな生命の息吹がひしひしと伝わって来る。
夜中である事も忘れ、どうしてもまた赤ん坊の顔が見たくなる。しかし里美の寝室にそんな時間に近寄ると、ものすごい顔で睨まれる。それでも清吉は幸せだった。
人は誰でも殆んど諦めかけていた、わずかばかりの希望が
「子供が欲しい」
と云う強い願望が叶えられた時、理性を失うのかもしれない。
戦国の武将、豊臣秀吉がそうであった様に。
しかし正妻の紀子は全てを知っていた。半別居ではなく、今や清吉は殆んど大久保の自宅に帰る事はなかった。そして店から持ち出す金も多くなって来た。
その金額は、既に一億円を超えていた。
明日に続く
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