潮騒は聞こえず(111)

こうして清吉は今までの様に自由勝手に使いたいだけの金を、店の金庫から出せなくなってしまった。
「ことぶき」チェーンは更に増殖していた。店舗数は8店舗にまで増え紀子の事業欲は拡大していく一方だった。
年商も18億円を超え、純利益は5億円以上だった。戦う相手は常に税務署だった。清吉は愛人と子育てに熱中していた。紀子から見れば、清吉は今やただの金喰い虫でしかない。
清吉が離婚を望んでいる様に紀子も清吉との離婚を望んでいた。
外に女を作って子供まで産ませ、その子供を「ことぶき」の後継者にしたいなどと云う発想は何処から出て来るのか。
「ことぶき」の店舗数が3つまでは清吉も社長としての仕事を熟していたし、紀子も夫として尊敬していた。夫婦としての絆も揺るぎないものがあった。
仕事ばかりが人生ではないだろうからゴルフに熱中するくらいは良い。
クラブのホステスと遊ぶのも、たまには良いだろう。そこまでは許せる。
しかし、そこから先は仕事には全く顔を出さず、愛人と子育てに夢中になっているばかりだ。
大久保の自宅にも帰る事なく、妻としての自分をも全く否定しているではないか。
それでも夫は、未だ自分が「ことぶき」チェーンの社長と錯覚している。
「冗談ではない、実質的な社長は私なのだ。飾りの社長に過ぎない愛人の子供を誰が後継ぎにするものか」
と、紀子の心の内は嫉妬の炎で燃え上がっている。後は清吉の会社株の持分50%を如何に切り崩して行くかである。
それには給与以上に持ち出ししている清吉の浪費癖を利用する事だ。
会社から清吉が借用している金は、すでに2億円は超えている 。しかし「ことぶき」チェーンの含み資産は確実に増えているので彼の会社株50%持分を切り崩すには、もう少し清吉の浪費癖を増長させて置くしかない。
その為にも借用書だけは清吉自身の手で書かせる必要がある。こうして紀子の清吉追い出し作戦は着実に進んでいた。しかし彼女の心の内は未だ微妙に揺れ動いていた。
「もう、昔には帰れないのだろうか」
と、ふと脳裏をかすめたりもする。
どっかで清吉を完全には憎み切れない自分に気付いていない。
もし、紀子が本当に清吉を社長の座から引きずり落としたいと考えているなら、2億円の借用書だけでも十分なはずだ。
現に顧問の税理士は紀子に度々進言している。でも彼女は何故か税理士の進言に踏み切ろうとはしない。
一方の清吉は、以前の様に店の金庫から、勝手に金を持ち出す事が出来なくなり多少の不便は感じていたが、毎週の様に行っても店長の西岡が100万円づつは手渡してくれる。
受領サインは求められるが、ともかく月に500万円でも600万円でも手渡してくれるのだ。
「何だ、今までと少しも変わらないじゃないか」
と、彼はすっかり安心し里美と翔太中心の生活に浸っていた。
彼が毎日、湯水の様に使う金が、一体どこから生み出されて来るのか、多くの店員の汗と労働の結晶ではないのか、
それを考えない経営者は紀子の思いとは別に、清吉は社長とは名ばかりの金喰い虫に成り下がってしまったのかもしれない。
明日に続く
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