潮騒は聞こえず(113)

清吉たち親子3人の箱根での2泊の旅行は翔太に取っては大冒険だった。
大涌谷の噴煙と温泉タマゴ、
翔太が歩きたがるので、少し歩かせてみる。段差のゴツゴツした階段は、1才5ヶ月の幼児では厳しい。好奇心は旺盛だか、
「ダッコ、ダッコ」
、が直ぐ始まった。
そのまま清吉の背中に負ぶさって階段を何段も登って翔太は幸せそうだった。
かつては地獄谷と呼ばれていた、この地域は正に大きな大地のうねりだ。火山国、日本ならではの風景である。
そして芦ノ湖の遊覧船、生まれて初めて乗る船だが、デッキをヨチヨチ歩く姿は本当に可愛いらしい。しかし見ていて怖い。
デッキから湖に放り出されてしまうのではないかとの不安が付きまとって離れない。
ちょっと歩かせては清吉が抱き上げる。でも歩かせてくれと足をバタバタさせる。
仕方なく、また少し歩かせる。そして直ぐに抱き上げる。
「パパも大変な仕事ね」
と、里美がクスクス笑う。
しかし清吉はまるで辛くはなかった。10kgちょっとの幼児の抱き心地の良い事…
翔太も父の温もりを十分に感じていたに違いない。
大事な一人息子を船のデッキで勝手に遊ばせる勇気はないが、色々な物は見せたい。
大自然の息吹を感じさせたいと思いつつも常に息子の危険な行動には怯えていた。
ベビーカーか、抱き上げているのが一番安心である。
それでも翔太には十分な冒険だった。ホテルに戻り親子3人で風呂に入る。そして親子3人が揃って布団を敷き詰め川の字になって寝る。
ホテルではあったが和室の部屋を用意してもらった。幼子に取って両親の間に挟まって寝ると云う事がどれほど幸せな事であるか、計り知れないものがある。この事を多くの大人たちは忘れているかもしれない。
幼子の健全な魂は、この様な家庭でこそ健やかに育まれて行くものであると云う事を。
この日、翔太は安らかに直ぐ寝ついた。この安らかな寝顔は何ものにも変えがたいと清吉は思った。
紀子の事も、ましてや道子の事も忘れていた。そして清吉も何時の間にか眠ってしまった。しかし里美はなかなか寝付かれなかった。
自分たちの将来を漠然と考えていた。翔太は一応、清吉の子供として正式に認知されていたが、自分には戸籍上の地位は何も確保されていない。
清吉は未だ43才だから今日、明日どうにかなると云う事もないだろうが、やはり翔太と自分の今後の在り方は気になる。
大体、清吉が全く仕事をしていない事も心配で仕方がない。週に5日はゴルフ場に行っている。その分、健康そうだが43才と云う若さで遊んでばかりいて良いのだろうか。
本妻のいる実家にも全く帰っていない。始めの内こそ自分のそばにいて育児の世話までしてくれる清吉に心の底から感謝していたし、うれしくも思っていたが今は少し疑問を抱き始めている。
本当にこれで大丈夫なのかと。
「一体、紀子さんと言われている奥さんは何を考えているのだろうか。
自分が清吉の本妻だったら、こんな状態を絶対に許す訳はない」
と思うのだが、そんな事を考えながら何時の間にか眠ってしまった。
明日に続く
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