潮騒は聞こえず(124)

再び席に戻り紀子が
「私も一緒にご相伴させてもらって良いかしら」
と、言って来た。
清吉は翔太を膝の上に抱きながら紀子と差しつ差されつつ夕食を共にした。何か10年ぐらい昔に戻った気分である。
ほろ酔い加減もあって清吉は、そっと紀子の手を握ってみた。紀子も握り返して来た。
ふと見ると、翔太が居眠りをしはじめている。
「ちょっと悪いけど、寝る前に翔太を風呂に入れさせて欲しいのだが」
と、今の自分の行動を少し恥じるように清吉は紀子に頼んだ。彼女も我に返って
「そうね、私も気づかずにご免なさい。直ぐに風呂の用意はさせますから」
と言って、いそいそと立ち上がった。
午後9時、清吉と翔太は風呂に入った。何時もは8時には風呂に入り、9時には寝る習慣なので翔太は少しグズっていたが浴室で清吉が童謡を歌って機嫌を取った。
泊まる予定はなかったが翔太の着替えとオムツは何処へ行くにしても必ず持ち歩いている。
浴室のドアを開けたまま紀子は清吉の一連の流れを見ていた。
全裸の姿を見られても清吉は不思議に気恥ずしさを感じなかった。紀子もただ物珍しげに見ながら、ふと呟いた。
「こうしていると私たち本当の親子三人みたいね」
と言いながら、翔太の体をバスタオルで拭いて、頭もドライヤーで乾かした。
翔太は半分以上は眠っていて紀子のされるがままだった。
寝かしつけるまでもなく寝床に運んで行くと、そのまま眠ってしまった。清吉も体を拭いて直ぐに出て来た。
「どう、もう少しお飲みになる。私はもう少し飲みたい気分だわ」
と、紀子から言い出して来た。清吉の新しい下着と着替えが用意されてある。
清吉は驚いて
「こんな物があったのか」
と、感動の言葉を思わず口にした。紀子はニッコリ笑って、
「ここは貴方の家でしょう」
と、数時間前とは言葉つきも変わり、昔の紀子になっている。清吉は我を忘れ紀子を激しく抱きしめ熱い唇を押しつけた。
「痛いわ」と、紀子が小声で言った。
「ごめん」と、清吉が手を離した。
「ううん、良いの」と、今度は紀子から唇を求めて来た。
一時、彼等は全てを忘れ抱きあっていた。
しばらくして清吉が、
「こんな俺でも未だ許してくれるのか」
と、体を離した。
「今度だけはね」
と、紀子は優しく答えた。
お互いの感情の昂りが少し静まり、二人はまた飲み始めた。
紀子は甘えた表情で清吉を見続けている。お酒を少し飲んでは口づけを交わす。まるで若い恋人でもあるかの様だ。
一体、何年ぶりだろうか、二人がこんなにも素晴らしい時間を共有するのは。そして何時しか二人の体は一つに溶けあった。
翔太はスヤスヤと眠り続けている。彼の上に新しい母が誕生した事も知らずに。
そして、この母こそが彼をずっと慈しみ続けてくれる事になろうとは。運命の糸が彼等を実の親子以上に、強く結びつけて行く事になろうとは未だ誰も知らない。
清吉45才、紀子41才、翔太2才10ヶ月、再び訪れた遅い春の季節であった。
明日に続く
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