潮騒は聞こえず(126)

1985年2月、翔太はもう直ぐ年少の幼稚園である。里美が亡くなって満2年、
「里美さんの墓参りを親子三人でしたい」
と、紀子が急に言い出した。
「伊豆の彼女の実家を見たいの。
母、道子の実家、広島にも行ってみたいけど今は翔太の母、里美さんに元気な翔太を見せて上げたい」
と、言われれば清吉に反対する理由はない。
1985年2月12日、里美命日の日、親子三人は清吉の運転で南伊豆に向かった。
水曜日で店は定休日、朝から晴れ上がり伊豆までは2時間もかからなかった。
「里美さんの、お墓はどうしているの」
「いや、取り敢えず南伊豆の里美の実家に近いお寺さんに骨壺だけ預けてある」
「ご両親のお墓に入れて上げなかったの」
「以前にも話したが、里美の両親は例の伊豆半島沖地震の土砂災害で亡くなっている」
「その、お気の毒な話しは確かに聞いた事があるわ」
「その土砂災害で里美の両親の遺体も判明しないまま、無縁仏みたいな形で処理されているみたいなんだ」
「まあ、それは気の毒に」
と、紀子は溜め息をついた。母、道子の遺骨も寺に預けたままになっているし、
「店を拡張するのも良いが、父母の墓も何とかしなければ…」
と、紀子は今更のように自分の怠慢さを恥じた。
昼前には里美が納骨されている寺に着いた。お布施を手渡し、線香も上げさせてもらった。
「里美さん、あなたの大切な翔太は私が母親代わりとなって、きっと立派に成人させます」
と、紀子は里美の遺骨の前で固く誓った。3才の翔太は紀子の真似をして、小さな両手だけを合わせていた。その遺骨が実の母のものであると云う自覚はなかった。
ご焼香の後は、南伊豆海岸沿いの料理屋で昼食を取った。絶壁の上に建てられた料理屋で、窓際の個室に通された。自分達が料理屋を経営しているから、二人とも食べ物にはうるさい。
しかし、この日は料理そのものよりも窓の下に映る潮騒の波の勇壮さに圧倒されていた。
「こんな所で里美は育ったのだ」
と、清吉には何か胸に迫るものがあった。死ぬ前日に、
「田舎に帰りたい。私は海辺のあばら小屋で潮騒の音を聞きながら、父ちゃんと母ちゃんの所に逝きたい、それだけなの」
と言った、彼女の強烈な言葉を清吉は思い出していた。
清吉の過去の記憶に立ち入るように紀子が
「この海辺の小さな丘に私達の手で
里美さんのお墓を作りましょうよ」
と、言って来た。
「貴方とは何の関係もなく、翔太の為に私は里美さんのお墓を作りたい」
と言う話しに、異論はなかった。しかし、
「貴方とは何の関係もなく」
と言う言葉に小さな棘を感じた。
「そして私の父と母の為にも、お墓を作らせて欲しいの」
と、紀子はやや潤んだ眼差しで言った。
「潮騒の音ではなく、山の声が聞こえるような所が良いな。母の実家は広島だけど海辺ではなく山の方に近いって聞いているし…
父の事は殆んど分からないの。だから
潮騒ではなく山鳩や小鳥のさえずりが聞こえるような山の声が聞こえる所も良いんじゃない」
と、紀子は話しを続けた。
明日に続く
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