潮騒は聞こえず(127)

1985年4月、桜吹雪の舞い散る下、
翔太幼稚園の入園式を迎えた。
風が少し強かったが好天に恵まれた。清吉が幼稚園の桜の木の下で紀子と清吉の記念写真を撮る。
「ほら、翔太。こっちを見て、笑ってごらん。ハイ、チーズだ!
よし、もう一枚撮るからね。そうだ、ニッコリ笑って」
と、清吉は上機嫌で入園式の記念撮影に夢中である。
「貴方と翔太の写真も撮るわ」
「そうだな、俺のも頼むか」
何処から見ても普通の親子だ。
清吉46才、紀子42才、翔太3才、周りの父母から見ると少しばかり老けた両親であったかもしれない。
幼稚園の送り迎えは、二人が交互におこなった。
この年の6月9日、翔太4才の誕生日だ。幼稚園に入って2ヶ月、友達も沢山できて話し方も、ずいぶんとしっかりして来た。
「たくまくんが、小便もらしたの、
おかしいね。そしてさ、さおりちゃんがお弁当を落として食べられなくなって泣いていたんだ」
と、幼稚園であることの全部を話したくて仕方がないと云う感じだ。
バースデーケーキ、4本のローソクの灯も一息で吹き消してしまう。
「ママのケーキの方が僕のより大きい、ずるいよ」
と言う有り様で、この一年の成長には驚かされるばかりだ。
「ことぶき」は更に店を二つ増やし、都内だけで10店舗になっている。職員数も100人を超える大所帯だ。
清吉は益々稼業に励み、都内の有名な料理屋には片っ端から足を運び、料理の研究に余念がない。
ゴルフは月に数回程度は行くが、夜遊びは全くしなくなった。
紀子との夫婦生活も極めて円満で、夜の営みも週に一度以上はあって、紀子を年令以上に若く見せている。
「社長も専務も全く年を取りませんね、むしろ専務はどう見ても30才代前半でしょう。白髪の一本もないじゃないですか」
別の板前が、ニヤニヤ笑いながら
「専務なんか、この間は街で20代の若造にナンパされたって言うじゃないですか」
古くからの女子店員が興味深げに
「それで専務さんは、どうなさったんですか」
と、誰にともなく尋ねた。
先程の板前が得意げな顔で
「専務は近々と、その若造のそばに行って何と言ったと思う」
「何て言ったの」
と、女子店員が釣られる様に聞いて来た。
「坊や、ありがとうね。でも私、子供には興味ないの」
だってさ、
「専務の貫禄勝ちって所ね」
と、仕込みの間じゅう、そんな話しで持ち切りだった。
清吉も、その話しは何処からとなく聞いていた。
最近は翔太が寝付いた後、紀子と一杯飲むのが習慣になっている。月に何度かは紀子と二人で一流と言われる料理屋に足を運ぶ事も多い。
そうやって二人は少しでも自分達の店の格を上げようと努めている。
そんな生活をしている内に紀子も日本酒が少しずつ好きになって来た。
しかし清吉以外の人間と酒を酌み交わす事は、殆んどない。
そんなある夜の事、清吉は冗談交じりに例のナンパ事件を紀子に聞いた。
「馬鹿ね、そんな話しを聞いてどうするの。妬いているの、それなら嬉しいわ」
「いや、商店街の旦那衆も俺とお前の年が離れ過ぎている何て言う人もいるのよ」
紀子は少し嬉しそうに
「一体、幾つ離れているって言うの」
と、聞いて来た。
「それがだよ、少なくても10才以上は離れているだろうって言うのだ。
その分、俺が年寄りに見えるって事じゃないか。だから妙な噂が立ったりするんだ」
明日に続く
関連記事

コメント