迷子の医者(1)

平成13年3月30日(金)
朝9時、母親が私の病院に来る。
「どうも一週間ぐらい前から右胸に痼りの様な物が出来ているみたいなの」
と、言う。入院中の病棟回診が始まる直前だった。
「この忙しい時に、一体何の用事なの。近くの整形外科でも勝手に行けば良いのに」
と思いつつ、
「肋間神経痛じゃないの、整形外科で診てもらったら」
と、軽くあしらう。
「内科の僕じゃ分からないよ」
と、私に言われ、母はそのまま戻って行った。
「どんなに苦労して、息子を医者にしたか、二浪までして何とか合格出来た医学部、それも公立ではなく月謝の高い私立に、そんな親の思いも忘れ…」
と云う考えが、母の意識にあったかどうかは分からないが、その後姿は寂しそうだった。
数日後の月曜、また母がやって来て「整形の先生はCTを撮らないと分からない」
と言ってくる。
私は面倒臭そうに母の胸部CTを撮り、自分では何も見ず、CTの現像写真のみを母に手渡した。
今の病院を自分で開設して15年、
ともかく走り回る様に忙しかった。
母親の病気など大したものではないだろうと、殆んど気にも留めていなかった。
撮ったCTを一度も自分では目にせず「近くの整形外科」に回し、そのまま読影と診察を依頼してしまう。日常的な忙しさの中で、整形外科領域に違いないと安易に思いこんでいた。
しかし数時間後に整形の山里先生から
「胸部外科で診てもらうべき疾患ではないでしょうか」
との返事を電話でいただく。
丁度この時、3月30日から4月1日まで土日を挟んで伊豆に春休みの家族旅行を計画していた。
母親の病気より、自分たちの旅行を優先していた。どうでも良い事で旅行の楽しみを奪われたくなかった。
そんな訳で母親の胸の痼りの事は、旅行から帰った4月2日の月曜日ぐらいから検討すれば良いと、いささか気楽に考えていた。
そして午後3時過ぎ病院から自宅に戻り、そのまま2泊3日の旅行に出掛ける。
その間の母の不安な思いをすっかり忘れ、私たちは家族旅行を楽しんでいた。
病院の桜は満開で、例年に比べると何か散り急いでいる様な感じがした。
4月2日(月)
午後3時、東和大学病院の呼吸器内科、藤田先生がパ-ト外来でやって来るのを待って、母親の診察をお願いする。
彼は表情に乏しい顔で
「*前縦隔腫瘍*みたいですね」
と言う。パ-ト先の病院長である私に遠慮しているのか、何か心もとない調子だ。それでも東和大学の胸部外科に紹介状は書いてもらった。
心の奥にわずかばかりの陰が薄く差しこんだ。
「ええ、ただの肋間神経痛ではないのか、前縦隔腫瘍だなんて考えても見なかった」
と、医者としての自分の好い加減さに呆れた。
「前縦隔腫瘍と言ったって、ほとんどは良性腫瘍だから、そんなに心配する事はないよ」
と、私は母親に説明する。事実、私自身もそう思いこんでいた。
「もし癌で助からない様なら隠さずに早く言ってよね」
と、何度も問い詰めるようにして私を見つめる母親の視線が、少しばかり痛々しく感じはしたが、それでも未だ重大には考えていなかった。
いや考えようとはしなかった。
これまで安易に考えていた自分の誤ちが、重大な結果にならない様に祈っていたのかもしれない。
まだ母親には長生きをして欲しいし、どこから見たって元気だ。
「たかだか胸の痼りぐらいの話ではないか。そんな事で、どうにかなるもんでもあるまい」
と、何とか自分への言い訳を繰り返していたのかもしれない。
いずれにしても4月5日の木曜には東和大学の胸部外科に行くのだ。その結果を聞いて、後の対策を練るしかないとも考えていた。
明日に続く
*前縦隔腫瘍*についての解説は
緑協和病院ホームページ「認知症と美しい老後」に記載されています。

*予告*連載小説「潮騒は聞こえず」が
ブログ上から、お読みになれるのは12月末日までです。それ以後ブログ上からは削除されます。
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