迷子の医者(2)

そうは思いつつも胸部CTの造影写真だけは撮り直した。待ち時間の長い大学病院での検査はなるべく省略したいと、思ったからである。
やっと、母親の病気と真剣に向き合い始めた。
単純写真と比べ点滴の造影剤を注入しながらのCTは、母をやゝ苦しめた様だ。
しかし、その時医者の顔をしていた私は何も気づかなかった。
「患者がどんなに苦しかろうが、必要な検査だから仕方がないだろう」と、医者は日常的に考えてしまう習性が身に付いている。
後日、妹から母が検査で苦しがっていたと聞かされ、私もやはり母を一人の患者としか見ていなかったと、反省した。検査にだけ夢中になっていて母の顔は見ていなかった。
4月4日(水)
午前診の外来パ-ト医、外村先生に4月2日のCTを見てもらう。月曜日の藤田先生と同じ東和大学の呼吸器内科であるが、外村先生はこの2月まで私の病院の常勤医だったので何かと相談には乗ってもらいやすかった。
かつて、こんな話しを聞いた事がある。
ある大学の胸部外科の教授が、自分の胸のレントゲン
写真だけは、普段は相手にしない部下の医者に何か不安そうに尋ねると。
医者も所詮は弱い人間なのだ。
今や私も、その大学教授と同じ思いで誰彼かまわず、医者と見れば母のCTの写真を読影してもらっていた。
午前診の終わった昼休みに医局で見てもらったのだが、
外村先生はCTを目にするなり
「これは悪性ですよ、どう見たって」
と、鋭く言ってのけた。
少しドキッとした。
曖昧だった不安感が一気に現実のものとなってしまった感じだ。彼はそれ以上のコメントは避けた。
私の母のCTだと分かっているので、それ以上の見解を述べる事に一歩おいたのだろう。
午後になって消化器の村上先生がやって来る。直接の専門ではないが村上先生にも母親のCTをみてもらう。
村上先生は婉曲的にそれでも確信に満ちた感じで
「悪性っぽいですね」
と淡々とした口振りで言った。
彼もパ-トのドクタ-であるが6月からは常勤となる。その分、対応は親切で細やかだ。
困難な厚い壁が目の前に迫ってきた。淡い期待感が音を立てて崩れて行くようだ。
あの母が、我が儘し放題の父の許で私たち兄妹3人を忍耐強く育ててくれた、あの母が父よりも先に逝くかもしれないとは…
私たちの父は酒もタバコも好き勝手で、節度もなく過ごし69才で一度は脳梗塞になっている。
だから私たち兄妹は、当然の如く父の方が先に逝くものだと決めていた。そしたら母も晴れて自由の身になれる。
母も少なからず、そう思っていたに違いない。そうなったら旅行嫌いの父と違って、色々な所に出掛けるのが大好きな母は、妹と一度は海外旅行に行ってみたいと話していたみたいだ。
夕方近くになって成城学園の母の許に電話をする。
「あれから何人かのドクタ-にお母さんのCTを見てもらったのだが悪性かもしれないって意見が多いんだよ。 そう癌かもしれないんだ」
と、極めて冷静に話す。
冷静さを保つ事により、私の中の動揺を気づかれまいとしていた。
医者とも息子とも言い難い私がそこにはいた。
明日に続く

*予告*連載小説「潮騒は聞こえず」が
ブログ上から、お読みになれるのは12月末日までとします。それ以後ブログ上からは削除されます。
関連記事