迷子の医者(5)

そこから2階呼吸器科の外来に出向く、エスカレ-タ-で上って行く感じはデパ-トそのものである。
ここの「国立がんセンタ-」は出来て2~3年くらいしか経っていない新築の建物である。なかなかに凝った建物で、民間では今時こんなにも金のかかった物は作れそうにない。
母親と二人で建物の内部を色々と見回しながら溜息をつく。
天井の高さと言い、建築資材の品質と言い、申し分がない。さぞや高名な建築家が設計したものなのだろう。
この4月から自分の病院も大幅に増改築する計画なので、周りの内装部分とか言った物に大きな関心を抱いてしまう。それは当の母親も同じだった。いや私以上に熱心である。
「すごいね、病院と言うよりホテルみたいだね、お母さん」
「本当だ、病院もどんどん豪華になって行くんだね。それにしても大して利益も出ない病院で、こんな建物を作って大丈夫なのかね」
「国の税金で作っているから、大丈夫でしょう」
「まあ、そうだね。しかし民間の病院で、こんな贅沢な建物を建てたら
直ぐに倒産だよ。こんな親方、日の丸の病院と競争して行くとなると、あんたも大変だ」
と、母は自分の病気の事も忘れ、私の病院経営の将来を気にしている。
呼吸器科外来の前でもまた40分くらい待たされ、9時50分にやっと診察の順番が回って来る。
初対面の浅村医師は40歳代半ばで、熟練の外科医そのものと言った雰囲気を漂わせていた。29番の診察室に入ってすぐ私は、自分の名刺を差し出した。
「あさくら病院、院長」
と書かれた名刺である。
同じ医者であると言う視線の高さで母親の病状を詳細に診て欲しかったのだ。
どの様に優秀な医者であろうと所詮は人間である。
人間がその能力を十分に発揮するには、それなりの自尊心と適度な緊張感が保たれていなればならないと言うのが私の持論である。
人間と言うものは安易に流れやすい。経験を積んだベテランの医者であっても、ちょっとした気の緩みから、とんでも無いミスを起こしてしまう。昨今の医療過誤の多さは、それを物語っている。
そんな事から自分自身が医者であると言う事を踏まえて常日頃、上手な医者の罹り方に一言もっている。
患者サイドから、どの様な刺激を与え続ければ医者がその能力を十分に発揮させられるかと言うのが最大の要諦である。
その基本は患者側から病気に立ち向かって行く圧倒的な熱情と感謝の心である。
患者もしくは家族が病気そのものに深い関心を持ち、医者に十分な質問をぶつけて行くぐらいの気構えが必要なのである。
そうなると当の医者だって全身全霊で取り組むしかない。
次に感謝の心である。金銭的なお礼だけが感謝の心であるとは思わないが、大学病院や国公立に勤務している医者の多くが薄給と過酷な労働条件に甘んじている現実は認識すべきだ。
医師としての使命感のみを要求して行くのは容易だが、それだけで総ての問題が片づく訳でもない。どの様な形で、相手の医者と良好な関係を持ち続けて行くかが重要な問題なのである。
明日に続く

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