迷子の医者(6)

その為には幾つかの手段を考えなければ成らないと思う。
その医師への第一歩の刺激として、同じ医者である自分の名刺を浅村医師に差し出す行為が、大きな意味を持つに違いないと私は考えた。
「寸志」などと言う行為は相手を見極めた後でないと逆効果にさえなりうる。その点、名刺は安全でそれなりの期待感もいだける。
事実、名刺の効果は十分にあった。浅村医師の対応は明らかに違って来た。言葉づかいも説明の仕方も、ずっと丁寧になって来たからだ。
私の持参したCTをゆっくり閲覧しながらも私と共に病像を確認し、そこから一緒に議論して行くといった真摯な態度でさえあった。
しかし、それから先の彼は自信に満ちた外科医の顔で、私と母の前に向き直り
「*胸腺癌*でしょう」
と、患者である母の存在を忘れたかの様に淡々とした説明をはじめた。
「浸潤が強いですね。*扁平上皮癌*でしょう。生検による確定診断を急いで、放射線照射をやってみましょう。後は体力を見ながら手術に持って行けるかどうか考えてみます」と、確信に満ちた口調で言うのだ。
いとも簡単に「癌」と言う言葉を使うので、私は自分が医者である事も忘れ母親の表情を伺いながら、傍らで一人ドギマギしていた。
母親は何も言わず黙って聞いている。浅村医師の説明を十分には理解していないのだろうかと、その冷静さに私は一瞬戸惑った。
しかし、それは稚拙な思い過ごしであった。分かっている様でいて未だ母の本当の強さを理解してはいなかった。
この母親は最初から自分などと言うものは捨てているのだ。私を含めた3人の子供たちと、それに連なる愛おしい孫たち、それ等の者たちへの静かでひたむきな思い、その事のみが母親の生きる証だった。
自分の為には何よりも無駄を戒めた母が、その愛する者たちの為には惜しみなく何もかも与え続けた、その事実の前には語るべき言葉は意味をなさない。
それを時に盲愛と人は言うのかもしれない。批判も色々あるのだろうが、昔気質の強い、一人の女の一生がそこからは浮かび上がって来る。そう言う昔気質の女たちが、この国の基盤をこれまで支え続けて来たのだ。
そうは言っても母の内心の不安は計り知れないものがあったに違いない。一昨日の段階で私の口から、悪性の腫瘍かもしれないとは聞かされていたが…。
それでも未だ何かしらの希望は持っていたのだろう。人は誰だって最期まで希望は持っていたい。
だからこそ朝早く起きて
「国立がんセンター」まで診察にやって来たのだ。
しかし現実の壁は想像以上に高かった。あまりに淡々とした医師の説明に母は、ただ言葉を失っていただけなのかもしれない。
15分ぐらいで浅村医師の診察は終わった。
沈鬱な暗い雲が我々母子を静かに包んでいた。
外来診察の後、入院前の一般検査を受ける為に幾つかの階をまわった。心電図、肺機能、血液検査、胸部レントゲンと、母子共々に口数は少ない。コンピューター化された診察カードで検査手順はスムーズである。しかし人の声は冷たく事務的だ。便利で機能的であると言う事は、人の温もりから遠ざかるものなのだろうか。
明日に続く
*胸腺癌*
*扁平上皮癌*
についての解説は
緑協和病院ホームページ「認知症と美しい老後」に記載されています。

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