迷子の医者(7)

いや、それ以上に我々が人の温もりを欲していたのかもしれない。
「胸腺癌」
と言われた一人の医師の医学的説明、冷静な言動と現実の重さ…
私も自分の病院では、あの様に医学的説明だけをし続けているのだろうか。
恐らく私も同じだろう。冷酷な現実を申し渡された患者側の精神的動揺にまで、私たち医者が踏み込んでいたら医者自身の精神がバランスを保ち得ない。
でも、その時の私は医者ではなかった。
「癌」
と告知された憐れな母親の、その息子でしかなかった。ただ現実の重さに慄いていた。
一般検査の後は入院手続きである。このまま「がんセンタ-」で入院治療をお願いすべきなのか、やはり北山大学にも行ってみるべきなのか、いろいろな思いに囚われながらも入院予約はともかく済ませた。
がんセンターの圧倒的な建物の、その空間に飲み込まれてしまったのか、そこから先の考えは麻痺していた。
入院手続きも無事すませ、母子が寄り添うようにして「がんセンタ-」を後にしたのが午前11時50分。
「あんたには仕事があるのだろうから、一人で電車に乗って帰るよ」
と言う母親を、何とか車に乗せて新宿に向かう。
新宿には父親の所有するテナントビルがある。駅南口にある自分の店に寄って、一仕事すませたいと言うのだ。今日でなくても良いだろうにと思うのだが譲らない。何か取り急いでいるのだろうか。少しでも余分な憂いを後に残したくないとでも言うのだろうか。
仕方なく新宿の店の前で母親を車から降ろす。その後ろ姿は何とも頼りない。
あのしっかりと大地に根を下ろした様な、かっての後ろ姿が今は寂しい影を写し出している。思わず呼び戻しそうになるが、言葉がつまって出てこない。
そんな、 ためらいを振り捨てるかの様に、私は黙って自分の病院へと車を走らせた。
4月9日(月)
朝10時過ぎ、弟の慎二と共に母親が院長室にやって来る。
「国立がんセンタ-」での入院は取り止めると言うのだ。やはり北山大学で治療したいと言い出した。
これから当分の間、恐らく一年以上は入院やら通院やらで「がんセンタ-」のお世話となるに違いない。
そうなると築地は確かに遠い。我々家族でどこまで面倒を見れるのか、甚だ心もとない。
完全看護だ基準看護だと言っても、日本の看護体制は欧米の基準と比べると、かなり見劣りがする。国立病院だからと言って安心は禁物だ。
やはり日常的には家族の心くばりが欠かせない。それ以上に担当医との緻密な連携が重要である。
病気との闘いは医療サイドと患者本人そして家族との三つ巴の連携プレ-が欠かせない。
入院させたから病院に任せ切りで良いなんて考えはあまりに安易だ。
患者サイドの病気に対する必死の思いが、どれ程に医療サイドの人間たちを動かす原動力となりえるのか、もっと真剣に考えなれければならないと思う。
明日に続く

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