迷子の医者(8)

医者も患者も共に人間同士である。人間が人間として向き合い、病気と闘って行くべきものだ。
大病院の専門医たちは時に患者が人間であると言うよりも、臓器の一部であると言う錯覚に陥る。細分化された専門医性の陥りやすい罠とも言える。
だからこそ患者サイドから人間としての問いかけが継続的に必要なのだ。その様な問いかけによってこそ人間同士の適切な医療環境が出来上がるものだと思う。
そんな考えから行くと、週に一度ぐらい築地まで来てくれれば良いなんて言う母親の話は、我々兄弟をただ当惑させるばかりである。
毎日の様に築地まで通わなければならないのに決まっているからだ。
弟も妹も夫々に家庭もあれば仕事もある、私とて同様である。
下手すると片道に数時間もかかってしまう様な築地まで、毎日の様に通い続けると言うのは正直言って辛い。
だから母親がやって来て「がんセンタ-」ではなく、近かくの北山大学で治療すると言ってくれた時は内心ホッとした。弟もかなり強く説得したのかもしれない。
介護ビジネスの会社を経営している弟は、医者である私よりも介護に関しては目が行き届く。
そんな弟も毎日の様に築地まで通う事には苦痛を感じたに違いない。
しかし母親が北山大学での治療を決めたのは、我々のそんな思いとは別の所にあった。
国立なので「がんセンタ-」の方が入院費用が安いと思っていたのだ。
ところが現実は違っていた。個室料金が「がんセンタ-」では、最低で3万円から上は10万円まであると聞かされ母親はたじろいだ。
中間の一日5万円の個室に入ったとしても一ヶ月で150万円だ。数ヶ月間の入院ならともかく年単位の入院にでもなったら、一体幾らになってしまうのか、母親でなくても考えてしまう。
あの立派な建物を維持していくには、その程度の室料差額は当然なのかもしれない。でも国立だから、もっと安い値段で利用できるのかと安易に考えていた。
病院経営の大変さは国立でも私立でも変わりはない。自分でも小さいながら一つの病院を経営しているので良く分かる。国公立の病院はほとんどが赤字だし、民間病院も多くは青息吐息で倒産する所も増えている。
国の医療行政が行き詰まっているのだ。製薬会社だとか医療機器メ-カ-だとかの関連企業だけが潤っているという話も聞く。
厚生官僚たちの天下りとも、結びついているのだろうか。
この国の根幹をなすものの多くが官僚たちの天下りシステムと緊密に結びついている。この隠しようもない現実が、我々の生活をどれ程までに圧迫しているか、計り知れないものがある。
それぞれのエゴの塊が、この国の制度を著しく疲労させているのだ。ともかく、それやこれやで病院の多くは経営上ほとんどが溺れかかっている。
それでも一患者の立場から言えば、月に100万円以上もかかる室料差額は、やはり厳しい。別に個室でなくたって構わないようだが、母親のこれまでの苦労を考えると病気になった時ぐらい個室でゆっくり寛いでもらいたい。
ほとんど贅沢らしい事はして来なかったのだから、病気の時ぐらいはと思ってしまうのだ。
明日に続く
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