迷子の医者(9)

それ以外にも、やはり個室の方が大事にしてもらえる様な気がしてならない。
この国の医療システムから言えば、患者は貧富の差がなく一律平等である。欧米の様に医療保険にも幾つかの段階があって、ファストクラスとエコノミ-クラスでは受けられる医療サ-ビスにかなりの差があると云うシステムは、この国では存在しない。
何でもかんでも同じと言うのが、この国の社会正義となっている。つまり我々の医療保険も社会主義体制そのものを映し出したような、完全平等主義が見事なまでに貫かれている。
経済的に豊かな人にも社会的に高い立場の人にも一切の融通はきかない。誰にも同一の医療サ-ビスしか提供されないのである。
そんな中で少しの例外が個室や特別室の利用である。病院によっては特別室の患者さんには食事のメニュ-から看護の対応にまで、かなりの違いがある。看護婦の人数を国の基準より多くしている病院さえある。
そういった情報を幾つか耳にしてしまうと少しぐらい無理をしても母親には個室ぐらいには入って欲しいと思うのだ。
母親から見れば国立で費用も安ければ、少しぐらいの遠さは構わないと思っていたのだろう。それが近くにある私立大学の病院より出費がかさむと云うのであれば、何も遠くの築地まで出かける必要はなかったのである。
そんな事情から「国立がんセンタ-」での入院は取り止め、改めて4月18日に北山大学で診てもらう事にした。医療の質を考えると言うよりは、日々の過ごしやすさに心を奪われてしまったのかもしれない。
築地まで通うのが大変だとか、個室料金が高いとか、そんな事ばかりが気になって仕方がなかったのだ。情けない話ではあるが、紛れもない事実である。
もちろん、そんな事実とは別に北山大学に対する信頼もある。胸部外科の第一人者がいると云う事前の、我々の調査もある。一体全体、大学病院と国立病院とどちらが医療的にレベルが高いかを比べるのは難しい。
しかし「国立がんセンタ-」に関してのみ言えば、癌治療では日本中から専門医がより多く集まっているので、癌の疑いがある限り、最も高いレベルの診断と治療が期待できるのかもしれない。
そうは思いつつも我々は北山大学を選択してしまった。
4月10日(火)
朝9時過ぎ信治叔父から私の院長室に電話が入る。母親の病状についての問い合わせである。母とは10才違いの弟だが、叔父も平成10年9月8日に62歳と云う年で小脳梗塞を起こしている。かつては元気の塊みたいな人で事業欲も旺盛だったが、今では不調を訴える事が多い。自宅にいて出歩く事も少ない。
それなりの資産は残したが、そこにどんな意味があるのか疑問さえ感じている日々のようだ。富も贅沢な生活も総ては健康の上にこそ価値があるのだろう。
若い時の無理が祟ったのかもしれない。勢いに任せひたすら事業を拡張し続けていた叔父であるから。
寝る間も惜しんで仕事だけに専念している時期も多かった様だ。アルコ-ルも強かったし、喫煙の量も半端ではなかった。それやこれやの無理が積み重なって糖尿病や高血圧も早い時期から出現していた。
明日に続く

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