迷子の医者(12)

そのお部屋から退室するまでは10分くらいの時間であったと思うが、緊張も手伝ってか、もっと長く感じた。お部屋からクリニックの外へとゆっくり足を運ばせ、気持ちも少しづつ落ち着いて来た。
一仕事終えた様な寛ぎを覚えて、我々二人は駅近くの喫茶店に入った。30分ぐらい雑談をする。
「先生、今日は本当にありがとう。これで母の命が救われたら、どんなに感謝の言葉を述べても言い足りない」と、私は軽く頭を下げた。
「いいえ、私に出来る事なら何でもしますから、これからも遠慮なく言って下さい。感謝の言葉は良いですから、お母さまの治療が成功したら、言葉より実のあるご褒美を下さい」
と、真面目とも冗談とも言えない話しで私を笑わせた。
村上先生はどんな時にも生真面目で、それでいてユ-モアのセンスに満ちあふれている。そんな彼と一緒にいると何時も笑いが絶えない。
年は私より5~6歳は下であろうに、人間としては私より成熟しているかの印象を受ける。
土曜の午前の時間に、大の男の二人が喫茶店で何時までも寛いでいるのは変なもので、そのうち気詰まりを覚えだし、どちらからともなく別れの挨拶をする。
今日の礼を述べて私は家路に向かった。頂いた紹介状は自分のカバンの中にに大切に保管し電車に乗り込んだ。
4月18日(水)
午前6時10分に目覚まし時計で起きる。いつもより1時間は早い起床である。まだ布団の中が心地よい季節であった。しかし目覚めは良い。軽い緊張感が体内に満ちるような朝の気配だ。
午前7時30分、成城学園の実家に着く。母親の顔色が優れない。動きもどこか緩慢である。気にはなったが何にしても、これから北山大学に行くのだ。そこで診てもらうしかない。
午前7時50分、母親を自分の車に乗せて成城学園の家を出る。
今日は外来診察だけで午後には帰って来るつもりでいた。そのまま北山大学に入院となってしまうとは考えてもいなかった。
まして、このまま生きて帰れないとは…想像だに出来なかった。
母親は元より私も、そして父親さえもが…
これが母親の実家の最期の見納めだとは考えもしなかった。
いつもより息苦しい感じはあったが、母親は自分の足でしっかり歩いていたし、普通に話もしていた。
それが、この時が…母親と成城学園の家との…永訣の朝になるとは、
一体誰がそんな事を、このまま生きて家には帰れないなんて事を思っただろうか。夢の世界でさえ誰一人として考えはしなかった。
水曜日の朝、道路は混んでいた。
順調に行けば50分の距離だが1時間15分もかかってしまう。そのまま北山大学の駐車場に車を入れる。母親を病院の正面玄関で降ろさず一緒に駐車場まで行ってしまった。
無意識に時間の効率が頭の中で働いたのだろう。少しでも早く外来受付をすませたい、そんな焦りにも似た思いがが強かったのだ。
その駐車場から総合受付まで歩いて5分くらいだが、その間に50mくらいのなだらかな坂道がある。健康な人間にとってはどうって事もない道だが、母親の足取りは重い。ゆっくり、ゆっくりと立ち止まりながら歩いて来る。私も何度か振り返っては立ち止まる。
車いすでも持って来るべきなのだが、医者であるべき私が思いつかない。ただ時間を気にしている愚鈍な息子がそこにいただけだ。
明日に続く
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