迷子の医者(13)

そして更に愚かな事には、そんな母親の歩みの遅さにイラ立ちさえ感じている救い様のない私がいた。
「何を何時までグズグズしているのだろう、外来受付時間がどんどん遅くなるのに、全く」
と、一人胸の内で呟いていた。
相手が病人であると言う事より、母親である事への幼児期からの甘えが染みついているのだろうか。
守る事より守られ馴れていた幼児期からの習性が身に付いて離れないのだろうか。医者であると言う以前に未だ大人に成りきれていない私が、そこにはいた。
それでも母親は何も言わず黙々と私に付いて来た。他に頼るべき身寄りを持たない幼子の様に、ただ私に総てを任せ切っている。
午前9時5分に総合受付そして待つこと30分で、やっと外科外来の受付の順番が回って来る。
受付の女子事務員は20歳代の後半みたいだが、乾いた口調で
「外来診察前に胸部のレントゲン写真を撮って来て下さい」
と言う。それ以上の説明は何もない。
4月2日に撮ったあさくら病院の胸部レントゲン写真をすでに提出してあるのにもかかわらず、何故また同じ胸部レントゲン写真を大した日にちも経っていない、この時期に撮らなければならないのか多少の不満を残しながら、
それでも「郷に入ったら郷に従え」で、渋々とレントゲン写真を撮りに行く。
そのレントゲン撮影にもあれこれと手間取る。最初の一枚目はピップエレキバンが貼ってあって取り直しとなるなど、母親の動作の一つ一つがともかく緩慢である。
「今日のお母さんは、どうしたの」と、私は少し責める様な口調になってしまう。
「ごめんね、馬鹿だね。ピップエレキバンなんか貼ったままで」
と、母親も恥ずかしそうに笑う。
その為、一枚の胸部写真に一時間近くもかかってしまう。撮った写真は、そのまま外科外来の受付に手渡し、また待ち続ける。
母親の撮り直したレントゲン写真を一度も自分では見ようとしないで、そのまま待ち続けていた。
何故見ようとはしなかったのか。
母親の緩慢な動作の一つ一つの意味を、何故考えようとはしなかったのか。
この日、4月18日のレントゲン写真が後で総てを教えてくれるというのに。
恐らく4月2日のレントゲン写真とはまるで変わるはずがないと、何も見ないで決めつけていたのだろう。
わずか16日間では何の変化も起きないと、のんびり構えていたのだ。
それが悪性の病気だったとしも、高齢者の癌なんて進行が遅いに決まっていると勝手に思いこんでいた。
一般に医者が肉親の病気と向かい合った時、その対応の仕方は大きく二つに分かれる。肉親であるが故に緊張感のない無造作な対応と、肉親であるが故に神経質で過敏な対応との両局面があるようだ。そして、その時の私と言えば明らかに前者で、緊張感のない無造作な対応で実の母親に接していたのだ。
それから更に待つこと1時間半。初対面の野村教授は忙しそうだ。専属の看護婦も助手の医者も見当たらず、何もかも一人で切り盛りしているかの様だ。母校の大学病院では教授の脇にはいつも二人の医者がいて、検査やら処方やらの雑用は若い助手の仕事だった。
明日に続く

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