迷子の医者(14)

そんな母校の外来風景に馴れ親したしんでいた私には、雑用の一切を教授自らからがあれこれ熟している様子が奇異に感じられた。
また野村教授その人も、私の思い描く外科系の教授とはまるで違う穏和な、どちらかと言えば精神科系の人当たりの良いソフトな感じの、お医者さんだった。
野村教授は先ず
「どうもお待たせしました」
と一言挨拶をのべ、私の持参したレントゲン写真や胸部のCTを閲覧し、そして先ほど撮った胸部レントゲン写真を拡げた。
最後の胸部レントゲンを目にした私は、その写真に数秒間釘付けになった。
何と水が溜まっているではないか。
右肺野に多量に水が溜まっているのだ。右肺野の3分2以上に胸水が溜まっていた。
かなりのショックで思考が止まりかかった。
「わずか2週間ぐらいで、こんなにも病状が進むのか。
75才と言う年齢でも癌の進み具合は、こんなにも強烈なのか。
これでは息苦しかったに違いない。いつもに比べ道理でモタモタしていると思った」
今日は朝方から動きが鈍いとは思ったが、それが呼吸状態の悪さによるものだとは考えもしなかった。
何と愚かな医者である事か、この私は…
26年間も、
医学の何を学んで来たのだ。
朝からの、たどたどしい母親の動きを見ていれば、その体調の変わりように当然の如く気づいていなければならないのだ。
「お前は馬鹿か」
自問自答するように己自身を罵るしかなかった。
「あっ、水が溜まっていますよね」と、私の驚いた様な一言に野村教授も
「そうですね」
と言いつつ、あなたお医者さんと言った顔を私に向けた。そこで私は改めて自分の名刺を差し出した。
「あさくら病院、院長」
と書かれた、あの名刺である。
しかし4月6日に「国立がんセンター」で差し出した、あの時の名刺の勢いとは違い、それは弱々しい自己表現でしかなかった。
目の前に見せつけられた胸部のレントゲン写真、胸水の溜まったレントゲン写真の前で私は医者としての自分に嫌悪感を覚えていた。
胸水が溜まっている様なそんな母親の病状にも気づかない自分が、医者などと言う名刺を他人に差し出す恥ずかしさを全身で感じていたのだ。
「お母さん、息苦しくはないの。どうして何も言わなかったの」
母親の病状の重大な変化に気づかなかった、その原因が母親自身にあるかの様な問いかけである。
ここでも、まだ私は甘えている。
「うん、そうでもないよ」と、
慢性的な呼吸不全で通常の息苦しさには馴れきってしまった患者さんの様な返事だ。
感覚が鈍くなっているのか、それとも忍耐強いのか、どっちとも言えない返事の仕方である。
人は誰しもそれなりに生きなければならない。
片足がなければ、ないなりに…
片手がなければ、ないなりに…
強くなければ、耐えられなければ、どの様な環境にも順応しなければ人は生きて行かれないのである。
そんな中で日々の不自由さにも、息苦しさにも少しづつ忍んで行ける様な体質が身に付いて来る。それが自然の摂理とも言える。
明日に続く

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