迷子の医者(15)

野村教授は私の名刺と例の紹介状、北山大学の元学長から頂いた紹介状を見比べ
「これは恐れ入りました」
と、軽く会釈を返す。その丁重さに私の方が少し恐縮した。
「ともかく入院させましょう。今入院ベッドの方を至急に手配します」とも、言ってくれた。
「このまま入院かい。何の支度もして来なかったじゃない」
と、母親は不安気に私を見る。
「大丈夫、入院の支度なんかどうにでもなるから」
と言って、私は母親を説得した。
胸にこんなにも水が溜まっているのに、家になど帰れる訳がない。
しばらくして野村教授は、吉田先生と呼ばれる若い医者を連れて来た。まだ30歳前と思われるレジデントみたいだ。それでも彼はテキパキと処置室に母親を誘導し検査を始めた。
先ずは動脈血の採血である。通常の静脈血と違って体の比較的深い場所から採血を必要とする動脈血は、看護婦ではなく医者の仕事である。
その動脈血から呼吸状態の程度を推測するのだ。吉田医師が母親の採血や入院指示の仕事で忙しい合間をねらい、私はあちらこちらに電話をかけた。
最初は弟の慎二である。彼には応援を頼まなければならない。このまま一日中母親の側にいる訳にもいかないのだ。
午後2時半からは20名以上の健康診断の予約がある。そろそろ自分の職場に戻らなければならない。この後の事は弟に任せるしかないと思った。
その次の電話は当然の如く父親である。まだ癌であるとは話していない。
しかし4月に入ってからの私たちの動き、母親の気怠そうな表情を毎日見ては何かを、その病状の大変さを少しづつは感じている様だ。
昨晩も私の自宅に父親から電話があり
「一体、おかぁちゃんの病気は何なんだ。日に日に悪くなっているぞ」
と、イラ立った様な声の響きをあげていた。
毎日寝起きを共にしている父親の方が、離れて暮らしている私より母親の細かい体調の変化が分かるのだろう。
それでいて詳しい事は何も知らされていない父親がイラ立って当然と言えば当然である。
「まだ詳しい事は何も分からないが、このまま入院となりますから」
とだけ話した。
「そうか、それはご苦労だった」
とだけ言って、そのまま電話を切ってしまう。
普段から電話では一切よけいな話をしない父親であったが、今日もまたずいぶんと淡白であった。
とりあえず入院と決まったので、治療に向かって一歩前進したものとでも考えたのだろうか。昨日とは違った少し安心した声の響きである。
そして妹の友子の所に電話を入れる。いつもは留守がちであるが今日はすぐに出た。やはり気になっているのだろう。妹には胸に水の溜まっている事を告げた。
思った以上に厳しい病状かもしれないとも話した。溜息まじりの声が電話の向こうから聞こえたが、妹も多くは尋ねなかった。
最後は信治叔父の所だ。ここでもあまり余計な事は言わず、入院となった事実だけを打ち明けた。
今の段階であれこれ話しても仕方がないと考えたのである。連絡すべき所はして、後は入院手続きである。
明日に続く
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