迷子の医者(18)

「でも癌生胸膜炎なんか起こしていたら希望はないでしょう。根治的手術なんか夢の話ですよね」
と、私は詰め寄るような質問をしてしまう。
「そんな事もないですよ。治療の選択肢は、その病状によって幾つもあります。それにまだ手術による根治的治療法だって十分に考えられますよ」
と、慰めにも似た口調である。
それでも胸部外科の第一人者、野村教授から言われると、そんな気にもなって来る。まだ助かる可能性が残されているかもしれないと、淡い希望を持ちたくなる。
医者であるとはいえ、その時の私は患者家族の立場でしかなかった。患者家族の立場は弱い。医者の一言一言に、どれ程安心したり傷ついたりする事か。
重大な病気に見舞われた時は誰でも、ただ医者にすがるしかないのだ。他に逃げようがない。だからどんな人の言葉より医者の一言一言には神経を研ぎ澄ませる。
そんな患者家族の一人として私は、ただ野村教授に頼るしかなかった。ひたすらに一条(ヒトスジ)の光を追い求めた。そうか、まだ助かるかもしれないのだ。
そんな想いで胸をじりじりと焦がしていた。
一通りの説明が終わった後に野村教授は、私にご自身の名刺を下さった。その名刺に教授室の専用の電話番号を書いて下さった。それだけでも十分に感動したのに、その上さらに自宅の電話番号までお書きになった。
「どんな時間でも結構です。お母様の病気に関して何か疑問がありましたら、何時でもご連絡下さい。夜中でも一向に構いません。
むしろ夜が更けて布団に入ってからの方が、色々な疑問や不安が出てきたりするもんですよね」
とまで、野村先生は仰った。
何なのだ、この人は。
聖人なのか、神に近い人なのか。
こんな医者に、まだ一度も出会った事はない。
こう云う医者も、この世の中にはいるのだ。自分自身を改めて見つめ直した。
そして心が震えた。
本物の医者に出会った思いで心が震えたのである。医者としての自分自身の有り様にも深い感慨があった。野村教授の様な言葉は私の口から出る事はあるまい。
医者は何時だって体力勝負だ。外来だけならまだしも、入院患者を持っている様な医者なら24時間何時だって呼び出されるのだ。
重症の患者さんは医者の都合とは関係なく急激な病状の変化を起こすものである。連日の様に夜の夜中にたたき起こされる事だって日常的だ。
「医家は眠らず」とは、
昔から言い古された言葉である。
だから体力のない人間に医者は務まらない。
そうは言っても医者だって生身の人間である。眠れる時は出来る限り休んでいたい。わざわざ自分から何時起こして頂いても構わないですよ、なんて言葉は患者サイドの人間に、決して口に出来るものではない。
患者サイドの人間は時に残酷な対応を医者に迫って来たりする事が多い。
世界中で自分だけが病気に見舞われていると感じたりする人が多いのだ。咳をしたとか、少し熱が出たとか、急病でも重症でもない事で、夜中に電話をかけて来たりする人もいる。時には眠れないから睡眠薬が欲しいと夜中の二時に救急外来を訪れる人だっているのだ。
明日に続く



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