迷子の医者(19)

そんな人たちに間違って医者自身の自宅の電話番号など教えたりすれば、医者は一年中気持ちの休まる時がない。
だからこそ、野村教授の言葉は感動とも戸惑いとも言えぬ衝撃を私に与えた。
それでも、そんな自分の中の心の動きは押し隠し、野村教授の名刺を全身全霊で受け取った。理屈ではなく患者家族の立場からすれば、こんなにも有り難い名刺はないと思ったからだ。
「有り難うございます」
とだけ、やっとの思いで口に出す。めまいを感じさせる様な熱いしびれが体中を駆けめぐっていた。
ようやくの所で涙だけはこらえた。弱い立場に立たされると感情的にも弱くなるのか、いつもよりは情にもろい私がいた。
やはり患者の立場は不安なのだ、自分自身の置かれた立場を今日一日、再び問い直した。そして決意に似た思いを固めた。
この人に総てを任せよう。この人にだったら総てを任せられる。
何か信仰に近い想いに包まれながら、野村教授の許を辞した。
一人の患者家族が、そのカンファレンスル-ムから拝むようにして出てきたのだ。そしてもう一度、母親の病室に戻る。
母は不安気な顔で私に、
「野村先生は何て言ってた。どんな病気だって。やっぱり癌なのかい」と聞いて来た。
癌であるのか、そうでないのか、それが総ての別れ道なのだ。
「今日の今日だから、そんな結論はすぐには出ないよ。たとえ癌であっても手術は出来るかもしれないって、野村先生は仰っていたし。
そうなると後は体力勝負だからね、ダイエットなんか考えていちゃダメだよ」と、
ほとんど事実を有りのままに話した。
いや事実と言うよりは切なる願望を話したのかもしれない。根治的手術が出来て母親の病気が回復したら、全快とは言わなくても、少しでも元気な様子で後2、3年でも生きてもらえるなら、どんなに良いだろうか。
今はただ野村教授にすがるしかない。そんな祈る様な想いの、患者家族がいるだけだった。
午後7時、面会時間も終了の時間である。特室だけは面会時間の制限がないようだが、それでも疲れて来た。今日一日、何かとても疲れた感じである。
母親にも安静が必要だろう。
いや、それ以上に自分の為の休息が欲しかった。
「じゃあ、今日はもう帰るよ。また来るから」
とだけ言い残して、母親の病室から別れを告げた。もしかしたら母親はもっと側にいて欲しかったのかもしれない。出来れば一晩中、母の横にいて昔の懐かしい話などをして欲しかったのに違いない。私の幼き日に布団の脇で子守唄を歌って母が私を寝かし付けたように…
でも、これ以上長くいるには身も心も疲れすぎていた。
その時の私は病気ではない健康的な人間と冗談の一言も言って、ゆっくり寛ぎたいと言うのが本音でもあった。病人の側にいて、一つ一つの言葉を考えながら慎重に話すというのは意外にも疲れるのだ。
「お前は、それでも医者か!病める人の側に居続けて、その心の支えになるのも医者の務めではないか、ましてやそこで病んでいる人はお前をずっと育み続けてくれた実の母ではないか」
と云う声が何処か遠くから聞こえて来たが…それでも私は自分の為の休息を求めた。
明日に続く


関連記事