迷子の医者(21)

大学病院などに勤める若い医者ほど心のケアが苦手だったりする。
より大きな病院の方が流れ作業的に、少しでも効率よく検査や治療を推し進めて行こうとする傾向が強い。
国の医療費抑制政策の中では大病院ほど経営効率が声高に叫ばれている。
現在の健康保険制度自体がすでに制度疲労を起こしているのだろう。
この先の日本の医療制度はどうなるのであろうか、不安で仕方がない。
そんな不安を抱きつつも個人病院の経営者は誰よりも一生懸命に働いて、毎日をガムシャラに生き抜いて行くしか道はない。
昼食もそこそこに終えて午後からは昨日の続きの健康診断がある。その健康診断も午後3時前には総てが終わり、やれやれと言った開放感に包まれた。
一度自分の病院に戻り、15分くらい休む。その後は一時間半くらい重症の入院患者さんを診て回る。若くして癌末期の患者さんもいる。
年齢が若ければ若いだけ基本的な生命力が旺盛なのだ。その若い肉体を末期癌が容赦なく蝕んで行く。
旺盛な生命力と末期癌の悲惨な闘いである。生命力が旺盛であればあるほど、その闘いはより熾烈を極める。だから若い人ほど苦痛の呻き声は耐えがたき響きとなって聞こえて来る。
自分より若い癌末期の患者さんに私は為す術もなく、ただ疼痛のコントロ-ルに明け暮れている。
心のケアを試みてはいるのだが容易ではない。如何に医者とは言え、所詮は健康な人間である。自分が癌に侵されている訳ではない。
健康な人間の発想で癌末期の患者さんの心の葛藤を、どれだけ想像できると言うのであろうか。本当には分からないと思う。後は感性の違いがあるだけだ。
そんな私たちに出来る事と言えば、ひたすら忍耐強く、苦痛の呻き声を聞き続け、聞き続ける事によって、その苦痛が幾らかでも和らいでくれる事を願い、そして少しでも明るい話を見つけ出す、それだけだ。
それ以外の何が出来るのだろうか。
医学が如何に進歩したとは言え、それは常に未熟で不完全なものだ。この世に不治の病といわれる物は数多くあって、癌だけが怖い病気だと言う訳でもない。
そんな不治の病に接して医者は何をするのか、何が出来るのか。ただ病気の分類に終始し、後は病状経過を克明に観察するだけではないのか。その様な仕事も決して無意味だとは言わない。将来の医学の発展に繋がる可能性もあるのだろうから。
しかし現実の患者さん方には何の足しにもならない。効果的な治療の手立てもないまま病状経過だけを観察され続ける患者さんの立場とは一体何なのだ。
彼らの救いは何処にあると言うのだろう。そんな状況の中で医者たちに出来る唯一の事はと言えば、苦痛に満ちた患者さん方と少しでも心を通わせ、その限りある時間の中で患者さん方のために、自分たちは何が出来るかを問い続けるだけである。
そんな癌末期の患者さんを受け持つのは、本音を言えば避けて通りたい気もする。
いま受け持っている41才の男性も残された寿命は後1、2ヶ月であろうか。奥さんは若く、子供はいない。出来る限り病室に足しげく通うのだが、彼の口数は段々に少なくなっていく。
明日に続く


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