迷子の医者(24)

生きる、ともかく生きる。
そしてどの様にしても、生き抜かなければならない。
あの戦争から九死に一生の思いで、生き延びて来た世代の生命力は
愛とか憎しみとかを超越した生存への、生き抜いて行く為の爆発的エネルギ-の発散があるみたいだ。
それが戦争で死んでいった何百万人と言う同胞への鎮魂歌なのであろうか。
飢えと苦しみと、そしてもがきの中で死に絶えた多くの青春、幼子たち、その他諸々の魂の叫び声、無念の裡に果てた数え切れない命、それらの総てが乗り移った様な、生命の塊をもらい受けたかの様な、滔々と流れる血路が、生命への乾きが、あの戦争の死の淵から生き延びてきた人間たちにはある。
ともかく彼等、夫婦はいつも生命力に溢れていた。
その分、争いが絶えなかったのかもしれない。
「馬鹿野郎、何だってお前は何時も俺のやる事に反対ばかりするんだ」
「何を言っているの、あたしが見ていないと何時だって半端な店しか作れないでしょう」
「何が半端だ、それが亭主に向かって言う言葉か!」
「半端だから半端だと言っているのよ。厨房に換気の窓がなかったり、物品の収納場所も考えない店なんか何処にあるの!」
「この野郎、言わしておけば!」
と、家中の家具をバットで片端から叩き割りはじめる。
父親は己の感情をその激情のおもむくままに、勢いよく吐き出していった。争いの後は何もかも忘れた様にスッキリした顔で、多少の恥じらいは見せるものの日常生活に平気で戻って行った。
一方の母親はと言えば口でこそ負けてはいなかったが、基本的には女の悲しさか、腕力的には太刀打ちが敵わず守りが中心の戦いであった。
家の中は荒れ放題、一脚の脚が折れて傾いた卓袱台、飛び散った茶碗や欠けて砕けた飛び散った何枚もの皿、家財道具の数々、父親の怒りの吐物、母親にとっては言い様のない屈辱の汚物、それらの総てをいつも母親だけが一人、黙々と後始末するのだった。
そんな母親の心の奥底には長い年月に渡って蓄積された「わだかまり」の何かがあったに違いない。
言葉には言い表せない重石のような、諦めと惰性と、そして戦い尽くした者のみが知りえる慈愛の様なものが複雑に絡み合っていたのかもしれない。
だからこそ母親の父親への対応は素直ではない。一歩の間を置いて、いつも多少の含みを持たせている。自分が病気になろうと、たとえ死の床にあろうと、その根本的な姿勢に変わりはない。
そんな夫が見舞いに来て、嬉しいのか嬉しくないのかを単純には語れない。
ただ見舞いに来る事により、自分の存在が無視されてはいないと言う事実に、母親は少しの安堵感を覚えているだけだと思う。
「いくらか元気になったみたいだな」と、父親は精一杯の励ましを言う。
「ええ、少し楽になりました」と、昨日よりは血色の良い顔で母親は答える。
確かに入院したばかりの昨日よりは呼吸状態も良さそうだ。父親には未だ母親の真の病状を、その最も疑わしい病名を告げてはいない。だから父親は母親が入院して元気になったのだと気楽に構えている様だ。
明日に続く


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