迷子の医者(25)

その証拠に、母親の病室に居るのも30分足らずで、すぐに空腹感を訴えだした。一度言い出したら、後は子供と同じである。何かを食べるまでは収まりがつかない。
ものの10分もしないうちに空腹感は怒りへと変わるのだから。そんな父親の気質を誰よりも知りぬいている母親は、
「この上にレストランがあるわよ、一緒に何か食べてきたら」と、
すぐに誘い水を向けてくれた。
北山大学10階にはレストランがあって展望も良く、こざっぱりした雰囲気であった。窓の外は木々の緑が春の陽を受けてまばゆく光っている。母親のこれからの病状の行く末とは、何か対称的な自然の恵みが満ち溢れているようだ。
父子揃って「ざるそば」を注文する。どうせ病院のレストランだから不味いに違いないと決めつけていたが、注文した「ざるそば」は、思った以上の味であった。父親は「そば」が大好きで、味にもうるさいのだが、そんな父親をそれなりに満足させる味であった。
食べ終わって私が会計に立とうとすると
「俺が払うから、お前は良い」
と、言う。
自分の息子ごとき者に、奢ってもらうのは恥でもあるかの様な口ぶりである。私が病院の院長であろうと、否そうであるからこそ、父親自身が支払いをしなければ己の沽券に関わると言った面持ちである。
そんな父親のプライドを傷つける必要もないので、私は素直に「ざるそば」をご馳走になった。
そして後は帰るだけである。母親の病室にもう一度少しだけ顔を出しはしたが、食事もしたし、見舞いもしたし、病人は元気そうだったし、これで一様の用事は全部すんだ。
なるべくなら余計な物に振り回されたくない。自分のペ-スで自分の尺度で、好き勝手に生きていきたいと言うのが、父親の人生そのものである。
たとえ50数年以上、連れ添った女房が生死の境にあろうとも、必要以上に自分の生活のリズムは、かき乱されたくないと言うのが父親の本音であろう。だから女房の看病をするなんて考えは、まるで頭の中にない。それは別世界の夫婦の話に違いないのだ。女房から看病される事はあっても、女房の看病をするなんて発想は父親のこれまでの人生には全くなかった。
成城学園の実家まで、そんな父親を送って行く。
そして北山大学病院、母和子入院2日目の夜は、音もなく静かに更けて行った。
4月20日(金)
朝から自分の病院の仕事が忙しく、どうやっても抜け出せない。
昼過ぎ203号室の母親の病室に電話だけを入れる。母の声は元気そうだ。
山藤婦長から花が一杯送られて来たとの事で、母はとても喜んでいた。
4月21日(土)
朝8時に起きて朝食、疲労がたまっているのか眠くて仕方がない。食後またベッドに潜り込んで1時間以上は寝てしまった。
午前10時やっと一人で家を出る。
土曜の午前で道路は渋滞している。
午前11時20分、北山大学に着く。母親はかなり元気そうだ。鼻からの酸素も一昨日の3Lから1Lに減っている。
担当医の吉田先生から病状説明を受けた。
「胸水から2度、細胞診を実施しましたが、いずれも結果は*クラスⅡ*でした」
との話しである。
明日に続く
*クラスⅡ*細胞診についての解説はトップページに記載されています。
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