迷子の医者(27)

4月28日(土曜)
母の血性胸水は未だ続いている。鼻腔からの酸素は1Lで呼吸状態は何とか維持されている。午後5時に弟がやって来た。病棟の廊下で彼に昨日の野村教授の病状説明を話す。
「骨肉腫の疑いが強いらしい」
と私が言う。
「骨肉腫って、どんな病気なの」
と、弟が聞いて来る。
「骨の悪性腫瘍で癌と同じに考えて良いが、癌より悪性度は高いかもしれない。それに骨肉腫は肺に転移しやすい」と、私は説明した。
ただ母の余命は思った以上に短いかもしれないとは、話さなかった。
私の中では少しでも長く生き欲しいと云う願望が強かったから…
それに鼻から酸素は付けているとはいえ、元気そうだし食欲も落ちてはいない。未だ生きるエネルギーは充分に残されている。
母親の家系は「がん家系」とはいえ、祖母や叔父を始め生きるパワーは誰よりも強い。仕事の辛さに根を上げる事もなく、2日や3日は寝なくても平然としている。
母と私の弟はB型で、共に粘り強い。
父と私、それに妹はA型で、やや克己心に欠ける所がある。血液型だけで性格の全てが解明出来るとは思えないが、奇妙な類似性を感じるのも事実だ。
そんな母だから、もしかしたら病気に打ち勝つ生命力が未だ残されているかもしれないとの淡い希望を持っていた。抗癌剤の副作用とも闘えるエネルギーがあるのではないかと信じたかった。
5月2日(水曜)
午後6時、弟と二人で野村教授と吉田医師から病状説明を受ける。
「骨肉腫ではなく*胸腺腫*もしくは
*胸腺がん*である」
との説明を受ける。
「結局は前縦隔腫瘍の中の胸腺腫ではないか」
「それなら4月2日に東和大学の藤田医師が私の病院で、遠慮しがちに言った
前縦隔腫瘍の診断に戻っただけではないか。この一ヶ月間の時間浪費は致命的ではないのか。私の中で北山大学への不信は募る一方だった」
更に野村教授の説明は続く。
「ともかく明日から癌性胸膜炎の治療として胸腔内に抗癌剤を注入してみます。又5月8日からは放射線照射も併用してみます」
と言われ、私は戸惑う。
「75才と云う年令で、それだけの治療に耐えられますか?」
と私の口から、尋ねずにはいられなかった。野村教授は自信ありげに、
「大丈夫ですよ、ご年令的なものは十分に考慮しています。この併用療法で
血性胸水は大幅に軽減すると思いますよ」と言われ、
癌性胸膜炎の治療に、殆んど無知な私は多少の疑問を頂きながらも頭を下げて頼むしかなかった。
教授の説明が終了して、私と弟は母の病室に向かい、教授からの治療方針を伝える。母は気丈夫に、
「こうなったら俎板(まないた)の上の鯉だから、お任せするしかないね」と、
言いながらも自分の命の灯火が消えかかっているのを悟っているかの様に
「出来たら自分の意識がはっきりしている間に2、3日でも家に帰って自分が死んだ後の財産管理等の整理をしたい」と言われ、
私と弟は言葉を失った。
「お母さん、大丈夫だよ。今回の野村教授の治療がある程度成功したら、2、3日と言わず10日でも20日でも家に帰れる日は来るよ」と、
母を励ました。同時に私自身を励ましていたのかもしれない。
明日に続く
*胸腺癌*
*胸腺腫*
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