迷子の医者(29)

5月9日(水曜)
ともかく自分の仕事をなるべく早めに切り上げ、午後5時半には北山大学に着く。弟の慎二はすでに来ていた。
一週間ぶりに担当の吉田先生から病状説明を受ける。胸腔内からの血性胸水は今日もかなり出ている。
「昨日は抗癌剤だけではなくミノマイシンの抗生剤も併用してみました。何とか胸膜を癒着させ胸水の排泄だけは抑えたいと努力しています」
との話だが、どれ程の成果が上がるやら私は疑問視していた。野村教授は学科で不在だった。
弟と二人で母の病室に行く。ナースに頼んで*SPO2*をチェックしてもらう。90%だった。鼻腔からの酸素濃度を2Lから3Lに上げてもらう。それでもSPO2は上がって来ない。
母の鼻腔に手を当て酸素の流出ぐあいを確かめてみる。全く酸素が出ていない。
「一体どうなっているのだ」
と思って酸素チューブを確認すると連結管が外れている。酸素が鼻腔まで来ず途中で流出している。これでは幾ら酸素濃度を上げても意味がない。
外れていた連結管を直ぐに繋ぐ。これで母のSPO2は98%まで上昇した。
しかし酸素が流れて来ない事に母は気づかなかったのか。そこまで体力は弱まっているのか、限りない不安を覚えてしまう。
5月11日(金曜)
午後5時、成城学園に出向き父親を車に乗せ北山大学の母の許に出かける。
胸膜の癒着が成功したのか、胸腔ドレナージは抜去されていた。しかし酸素濃度は3Lで、かなり息苦しそうだ。
今日の母は口数も少ない。そんな自分の妻を見て父も憐れみを感じたらしく黙って母の手をさすっていた。
これで本当に胸膜の癒着が成功していると言えるのか、大きな疑問を抱く。
担当の吉田先生に、この疑問を尋ねてみたかったが不在であった。
5月12日(土曜)
午後3時50分、自宅を出て北山大学に向かう。土曜の午後は交通渋滞が厳しい。北山大学に着いたのは午後5時15分。渋滞の車の中では身動きが取れない。その分だけ妙に心がザワつく。
「この間にも母の身に何か悪い事が起きているのではないかと」
人は誰でも自分の思い通りに行かない時空間では、不吉な想像を思い描いてしまうのだろうか。幼子が母を追い求めるのではなく、成人した息子が病身の母を案じていたのである。これまで母にどれだけ慈しまれ育てられて来たのかを振り返る時、私が小学一年で麻疹に罹った時の寝ずの看病、小学六年で友達と遊びふざけて足の骨折をした時、入浴の出来ない私の体の清拭を毎日丹念にしてくれた事など、ともかく数えあげたら切りがない。
渋滞の車の中で、そんな意味のない過去の思い出が不思議に蘇って来る。
午後5時20分やっと母の病室にたどり着く。弟の慎二がすでに来ていた。
だるくて仕方がないと言う母の両脚をマッサージしている最中だった。
弟の慎二は私たち兄妹三人の中では誰よりも母の心を煩わせている。
大学卒業後から幾つものビジネスに手を出しては失敗を重ね、母に経済的負担を何度となく掛け 尻ぬぐいをさせていた。妹の智子も大学に行きながら恋愛関係のこじれから自殺未遂をしたりでどれ程に母を悩ませたか、私は私で一度は結婚に失敗して母や父にかなりの心配を与えている。
その意味で母は私を含め愚かな子供たち三人を、育て上げる事にどれ程の苦労をしたのかを考えると、その不孝の数々に言葉を失う。
明日に続く
*SPO2*
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