迷子の医者(30)

そんな私たちだからこそ、母には出来る限り長生きをして実りある老後を過ごして欲しいと願って止まなかった。
我が儘一杯の父にも散々に苦労させられ放しで、このまま癌などで死なれたら母の一生は何とも哀しいばかりだ。
しかし現実には、かなり悪質の癌が確実に母の身体の奥底に深く侵入している様だ。それも進行が思った以上に早く…
今日は自宅にあったパルスオキシメーターを持って来た。胸腔ドレナージを抜去して3日目、呼吸状態は昨日より悪化している。鼻腔からの酸素濃度も4Lになっている。それでもSpO2は94%がやっとだ。
5月10日からは放射線照射も始まっている。食欲は殆どない。息苦しい呼吸状態から母は、
「胸腺癌、何でそんな珍しい病気になってしまったのだろうね」
と、しみじみ自分の運命の最期の近い事を嘆いた。私たち兄弟は慰める言葉も見つからず、
「大丈夫だよ、放射線照射がもう少ししたら効いて来るよ」
と、私自身がその効果に疑問を抱いているのに、そんな気休めを言うしかなかった。
5月14日(月曜)
「こんなに急にどんどん悪くなって行くんだ…驚いたね!」
虫の息とも言える苦しさの中で母が呟いていた。
確かに心肺機能は一段と低下している。鼻腔からの酸素濃度が4LでもSPO2は90%前後、脈拍数130前後と
バイタルサイン(生命兆候)も極度に悪化している。
午後6時30分、野村教授と吉田先生から病状説明を受ける。
「癌性胸膜炎による胸水は止まっていますが、右肺野は壊死形成が著しく胸水の有無にかかわらず呼吸状態の悪化が防げない状況が続いています」
との話を聞かされても、何の慰めにもならない。結局は打つ手が何もないと言われたに過ぎない。
5月16日(水曜)
午後6時、北山大学に出向く。
弟の慎二がすでに来ていたが、彼自身が体調が悪そうだ。脈拍数が120もあって発汗も著しい、
「お母さんの事を考えるより自分の事を考える方が先だろう」と言って、
ともかく弟は帰らせる。彼も忙しい仕事の合間を縫って毎日の様に母の見舞いに来ているので、疲労が蓄積しているのだろう。
野村教授に面談を求めて一時間以上は待たされる。午後7時30分、野村教授と吉田医師がやって来る。
一昨日の胸部レントゲン写真と今日の写真を比べると、病状は更に悪化している。右肺野は殆んど真っ白だ。
酸素濃度も5LでSPO2は90%がやっとだ。放射線照射を5回も繰り返して何の効果も認められない。ただ徒らに母を苦しめただけだ。
「ラッシュですな!…この年令でこんなにも急速に癌細胞が増殖するなんて!」と、
野村教授は言い訳にもならない感嘆詞を呟やいた。
「それでは、これ以上の治療法は何もないと言うのですね」
と、私は自分のイラ立ちを隠さずに教授の目を見た。
「はい、その通りです」と彼は、
伏し目がちに答えた。
「分かりました、それなら母は私が自分の病院でみます。明日にも転院させて下さい」
と私は畳み掛ける様に言い切った。
「どうぞ、宜しいように」とだけ、
教授は返す言葉も無く了承した。
明日に続く
関連記事

コメント