迷子の医者(31)

5月17日(木曜)
北山大学からあさくら病院へ
自分の病院での午前の外来診察を終え、事務長の運転で山藤婦長と午後1時に北山大学に向かう。午後2時15分北山大学の母の病室に着く。
母は思った以上に元気だった。もちろん呼吸状態が改善した訳ではない。
鼻腔からの酸素濃度は5L、脈拍数120前後でバイタルサイン(生命兆候)は決して良くない。
ただ母は、この権威だけの大学病院よりは自分の息子の病院で、その最期を迎える事に安心感を覚えたのかもしれない。
結局、北山大学での一ヶ月間の入院は何の治療効果もなく、ただ母を苦しめるだけの結果になってしまった。
少しでも良質の医療を求めて、多大な謝礼とコネを使い過ぎる程に浪費したが、何の意味もなさなかった。
淡い期待だけを抱かされ、医者の私が何かペテン師に欺かれた様な気分だった。この様な大学と云う権威の許で、一体どれだけ多くの患者さんが失望を味わった事か、改めて考えてしまう。
せめて北山大学の救急車で、山藤婦長と同乗してあさくら病院まで母を送ってもらったのが、唯一の慰めだった。
一時間程で、あさくら病院に着く。
そのまま203号室の特室に運びいれる。その間も酸素濃度5LのままでSPO2は90%前後と変化はなかった。
病院からの移動で母は疲れ切ったみたいで、殆んどウトウトしていた。
夕食を食べる気力もなく寝ている。
ここからは内科の医者として、私の全エネルギーを注いで、母の終末医療に当たるべき決意をする。
5月18日(金)
あさくら病院での二日目。母の病状は悪化するばかりである。鼻腔からの酸素濃度も5Lから10Lの最大濃度に上げてもSPO2は92%がやっとだ。
こうなったら一か八かの勝負に出るしかない。胸水を減少させる為に利尿剤を大量に投与し、混合感染防止を目的に抗生剤の併用、最後にステロイド
(プレドニン60mg)のダイナミックな使用で癌細胞に付随する炎症所見の掃除を目指し、如何なる副作用も省みず、私としては最後の攻撃に出た。
ともかく私の知り得る医学知識を総動員した。
母は目前に迫った自分の死を今は確実に意識している。
「一泊でも二泊でも良いから、実家の成城学園に帰り身辺整理をしたい」
と云う、そのわずかばかりの希望さえ適えて上げられそうにない。
5月19日(土曜)
あさくら病院での三日目
母の尿量は2200mlと順調だ。利尿剤の大量投与が少し効いている。
栄養改善の為にアルブミン製剤(タンパク質)の点滴も補充した。
呼吸状態が最悪期からは少し改善している。マスクでの酸素濃度が10Lから7Lに減量してもSPO2は96%と良好だ。癌性胸膜炎の根本治療が出来る訳ではないが、私なりに母への親孝行の一部でもしたい思いで、考えられる限りの治療計画をあれこれ立てていた。
午後になって孫たち(私の先妻の娘)が二人見舞いに来る。私の娘たちは大学生活の事やクラブ活動の話などを盛んにしている。母も楽しそうに聞いている。20才前後の若さと元気さが、春のそよ風に乗って病室に運びこまれたかの様である。このまま母の病状は一気に快方へと向かうのではないかと錯覚を抱かせる様な元気さだ。
私の治療法より、孫娘たちの笑顔が母の病気には効果があるのかもしれない。
明日に続く
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