迷子の医者(32)

母の病室は見舞い客が多かった。
親戚中の人間が来た感じである。午後2時頃から入れ替わり立ち替わり10数名以上の人出だ。
通常の病院であれば、病人の安静を考え面会規制をする所だが、どの人達も顔見知りの叔父や叔母たちばかりである。私より目上の親戚に帰ってくれとは言いにくいものがある。
母の呼吸状態は昨日に比べ悪くなっている。マスクでの酸素濃度も7Lから10Lに逆戻りしている。それでも多くの見舞い客に囲まれ母は嬉しそうだ。
5月21日(月曜)
あさくら病院での五日目
5月18日からの私の捨て身とも云える治療法が、母の呼吸状態を一気に改善して行った。右肺野全域に浸潤していた癌病巣と言われていた所見が、ほぼ消失していたのである。
この日の胸部レントゲン写真を見て、私は自分の目を疑った。
「何だ!奇跡でも起きたのか…あるいは癌そのものが最初から存在していなかったのか?」
ともかく私は狐につままれた感じであった。母の酸素濃度も10Lから3Lと大幅に減量出来、SPO2も96%と素晴らしく呼吸状態が安定していた。
食欲も向上し、病院で出された物を半分近くは食べられる様になって来た。
怪我の功名であろうが、この驚くべき病状の軽快はただ嬉しくて仕方がなかった。何か自分で自分を褒めてやりたくなる気分だった。しかし何故、こんなにも劇的に母の病状は良くなったのか、ステロイドの大量投与が効いたのか、それならステロイドがどうしてドラマチックに効いたのか、その時の私には未だ分からなかった。
それでも母の病状が良くなった事には、どの様な理由であれ感謝すべき事態であった。
5月22日(火曜)
あさくら病院での六日目
母の病状は、かなり持ち直したものの、未だ油断は出来ない。父と妹は私が昨日に見せたCTの写真を見て、母の病気が全快した様な舞い上がり方だったが、そんな単純に私は喜べなかった。呼吸状態は昨日と変わらず今日も安定している。食欲も上々である。
5月23日(水曜)
あさくら病院での七日目
呼吸器外来のパート医、外山医師が、この数日間の私の疑問に答えてくれた。母の奇跡的な病状回復は、奇跡でも何でも無く、ステロイドの大量投与で*間質性肺炎*が軽快しただけだったのである。
北山大学で放射線照射を行った結果、その副作用として間質性肺炎が合併していたのだ。北山を退院する直前、野村教授から受けた説明
「ラッシュですな!…この年令でこんなにも急速に癌細胞が増殖するなんて!」
と云う話は全くの誤診であった。
北山大学では放射線照射後の間質性肺炎の合併を見落とし、ラッシュなどと云う的外れな見解に終始していた。
私の中でフツフツとした怒りが込み上げて来るのを、どうにも抑え切れなかった。
「胸部外科の第一人者」が、
聞いて呆れると云う思いが、私の胸の中で付きまとって離れなかった。
これまで母に与えられた不必要な苦しみを考えると、北山大学の野村教授を告訴すべきかとまで思い悩んでしまう。
明日に続く
*間質性肺炎*
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