迷子の医者(33)

その日の夕方、北山大学の野村教授に私から抗議の電話を入れる。担当医だった吉田医師しか居なかったので、仕方なく彼に退院直前の野村教授の診断の間違いを指摘して教授自身からの謝罪を要求する。
5月24日(木曜)
あさくら病院での八日目
母の病状は落ち着いている。鼻腔からの酸素濃度は3LでSpO2は96%で順調だ。朝方、野村教授から謝罪の様な電話を受けるが真心が感じられない。
「先生、電話で詫びを入れて済ます積もりですか。母の病室に来て心からの謝罪を述べるべきでしょう」と、
私はやや硬い口調で教授に申し入れた。大学と云う権威の上に胡座(あぐら)をかいて母の許に謝罪に来ないなら、私は教授を告訴する積もりでいた。
5月25日(金曜)
あさくら病院での九日目
午後2時、野村教授が謝罪の為にあさくら病院にやって来る。院長室で、この数日間の母の胸部CTを並べて見せる。
北山大学で見せてもらった右肺野全域が真っ白になっていた写真とは大違いである。私から口火を切った。
「先生が、あの時ラッシュなどと言った所見は明らかに間違いでしょう。癌細胞の急激な浸潤ではなく、放射線照射後の間質性肺炎だったのでしょう。だから私のステロイド療法で、こんなにも右肺が正常に近い状態に戻ったのではないですか!」
教授は私の示したCT所見を丁寧に見て
「汗顔の至りです。先生の仰る通りです。返す言葉が全くありません」
と言われた。ここまで明確に自分の非を認められると、それ以上はなかなか糾弾しにくいものである。
そして母の病室に入り、母の手を取って一言
「立派な息子さんを持って幸せですね」と、話した。
母も嬉しそうに頷いていた。
何か教授の方が役者が一枚上手の様な気がしないでもなかったが、これで事は収める事にした。
それに一様は学会の大御所と言われる野村教授が、ここまで遜(へりくだ)って来たのだから、同じ医者としてこれ以上の追求は自分の品位を落とすだけかもしれないと考えた。
昨今のただ金欲しさの、少し首を傾けたくなる様な医療訴訟を目の当たりにしている私から見れば、これ以上の追求は医療人としては逆に恥ずべき行為とも考えた。
アメリカ流の謝罪は心の問題ではなく、金銭の大きさが誠意であると云う考え方が支配的だ。しかし私はその様な考え方に馴染めなかった。
午後3時、野村教授を病院玄関まで見送る。彼の社会的地位を考えれば充分な謝罪がなされたと、私は受け取りこれ以上の言及は避ける事にした。
昨日、常勤医の桜井医師からのアドバイスで400mlの輸血をしてみた。
「貧血の有無にかかわらず、ヘモグロビン量を増やせば、酸素運搬が効率的になるので呼吸状態は楽になるはずです」と言われ、
そのまま輸血を実施してみたら彼の言う通り、今日の母の呼吸状態はすこぶる良い。鼻腔からの酸素濃度2LでSpO2が97%だ。
5月26日(土曜)
あさくら病院での十日目
小学二年生、娘香子の運動会だ。昨晩私が寝付いたのは午前3時頃で、とても運動会に出かけて行く元気がない。
幼稚園の年少から始まって5度目の運動会だが、今回が始めての不参加だ。
妻と娘が小学校に出て行くのを夢の中で聞いていた。
明日に続く
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