迷子の医者(34)

妻と娘が運動会に出かけた後も2時間以上は寝ていた。ともかく全身がボロ切れの様に疲労が蓄積している。
それでも午前10時40分には何とか起き出し、一人朝食を取る。
午前11時45分、病院に出勤。母が病気で倒れるまでは土日は休みにしていたが、この2ヶ月近くは一日の休みも取っていない。
それにしても今日の母の呼吸状態は逆戻りしている。鼻腔からの酸素濃度を2Lから4Lに上げてもSpO2が90%前後がやっとだ。
間質性肺炎の再発か、癌性胸膜炎の増悪か、ともかく胸部レントゲンを撮ってみる。昨日より胸水が少し増えている。一度減量した利尿剤を再度増やして様子を見る事にした。
5月27日(日曜)
あさくら病院での十一日目
昼過ぎ、妻と娘の三人で病院に出向く。母の呼吸状態は昨日よりは軽快している。利尿剤の増量が効いたみたいだ。尿量も2300mlもあった。
鼻腔からの酸素濃度は昨日と同じ4LだがSpO2が90%から98%と著しく改善していた。娘の香子に、
「おばあちゃん、早く元気になってね」と言われ、
母は嬉しそうに孫娘の手を握りしめていた。妻の典江は病室の絵を新しく買い求め、明るく花一面を飾り立てた20号程の絵にした。
「典ちゃん、有り難う!」と、
母は妻に礼を言った。妻も母が、自分の買い求めて来た絵が気に入ってもらえた様なので嬉しそうだった。
妻と娘は午後1時半頃に二人で戻って行った。母の呼吸状態は良くなったものの、次は便通コントロールと云う問題が残っている。
胸腺癌の浸潤で周囲の胸骨や肋骨が徐々に破壊されている。その為の疼痛も日々増大している。結局は麻薬による疼痛の軽減を目指すしかない訳だが、麻薬は一般的に胃腸の動きを著しく弱める作用がある。
この為に極度の便秘状態が誘発されてしまう危険が大きい。つまり麻薬の使用量と便通コントロールの調整は、それなりに厄介な問題なのだ。
5月28日(月曜)
あさくら病院での十二日目
母の呼吸状態は安定しているが、精神的には「うつ症状」が強く出始めて来た。食欲も少なくなり、見舞いに来る親戚や孫たちとも余り話をしたがらない。疲れ切った眼差しを見舞い客に、ただボーッと向けているだけだ。
麻薬による作用もあるだろうが、それだけでもなさそうだ。
もう、この押し寄せる病魔との闘いに疲れ果てたのかもしれない。
5月29日(火曜)
あさくら病院での十三日目
母の呼吸状態は安定している。
鼻腔からの酸素濃度は3LでSpO2が97%と穏やかに推進しているが、母の精神的な落ち込みは厳しくなるばかりだ。あれだけ話し好きの母が、殆ど口を効かない。胸腺癌の病巣も拡大している。
午後3時半、父親が母の見舞いに来る。
そのベッドサイドで余りに無神経な発言をする。母の意識が充分に覚醒しているにもかかわらずだ。
「人間、死んで逝く時はこんなにも惨めな姿なのか!」と、
言い出した。如何に80才の老父とは言え、その常軌を逸した物言いに私は逆上した。自分の父親でなければ、確実に手を上げていただろう。
50年以上も連れ添った夫に、そこまでの言われ方をした母の心情はどの様なものであったのか、怒りを通り越して哀しみで私の心は震えた。
明日に続く
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